お供え物
実家のお盆は、例年だと棚経のある15日がメインで最終だ。一昨年までだと、棚経への参加で家族が集まるのと、この頃には既に仏壇へのお供えものが傷みだすので、棚経の後にお下がりを皆で分けていただいていた。 姉一家が来なくなった去年も今年も、親がお供えの野菜(胡瓜と茄子)と果物(桃とぶどう)を用意していた。 一昨日、麻がら4本を脚にみたてて挿した茄子(家に来たご先祖様がこの馬に乗ってあちらに戻る)が傷みかけていたので、親に「もし替えの茄子があるなら、挿し換えて傷んだ方は夕食に使おうか?」と尋ねたものの、結局親が話していた昨日の夕食準備の時,、取換え損ね今日に至っている。 今日でお盆終わりだし、私も帰るし、で私も何も親に言わずにそのままにしている。色が悪くなっていた桃は親が自分で冷蔵庫に入れているから、来週末までにはなんとかするだろう。三年日記に記した去年の8月15日は、やはり傷んだお供え物の果物を親と二人で分けて頂いたことが載っていた。 お供え物ではないが。もう二十年ほども毎年、秋に親戚から届くぶどうがある。去年の秋、2週間ぶりに私が実家に戻ると、包装紙しか残っていなかった。 包装紙の配達貼付紙にお届け予定日が載っていたのが腹立たしかったことを覚えている。私の帰宅まで、一部は十分に保存できる期間だったからだ。届く前に、私が親に、「私、OOさんからのぶどうを楽しみにしているけど、今年は一つも食べられないなんてことないよね?」 と釘をさしておいたツモリだったにも関わらず、なことも余計腹立たしい。もともと、親は、たくさんいただいたからといって、子供に多く与える性格ではない。分け与えることすら、気が向いた時しかしなかったが、私が長い年月かけて親にあの手この手で話して、習慣にしてくれるようになったが、いつもではない。親戚から届くぶどうの量に比べたら、今回のお供えものは親一人でもすぐ食べられてしまうのは明らか。 仏さんからのお下がりは、姉や私のお菓子を親と一緒にいただいたことだし、もう十分でしょ、私?ね? ちがう??(自問自答)