プレゼンテーション(以下プレゼン)は,とくに研究をアウトプットするという点で重要な位置を占める.筆者がふだん考えているポリシーを書いてみたい.今回は口頭発表を想定した書き方であるが,ポスターであっても大事なことは同じであるはずだ.
真面目に発表する≠聴衆に伝わる
プレゼンテーションの最大の目的は,「真面目に発表する」ことではないし,「良い発表をする」こととも正確には一致しない.「自分の言いたいことを聴衆に正しく,最大限に伝える」ことだ.
「真面目に発表する」ということは,大学の卒論発表などでは「正しく伝える」ことと比較的相関があると考えられている(理由は後述)から,まず真面目にやろう,という選択は悪いものではない.ただし,「こんなにきっちりとしたプレゼンをしたのに,なんか反応が薄いなあ」という事態はよくある.これは真面目さの問題でなく,もっと根本的に「伝わっていない」ことが問題である.自らの「真面目さ」だけを高めたとしても,この問題は解決しない.
「良い発表をする」という目的は,「良い発表」の定義が正確であれば良い.ただ,「ああ,淀みなく話せた.スライド切り替えのタイミングもばっちりだ.これは良い発表だ」,このとき聴衆はあなたの言いたいことを本当に理解しているか?プレゼンの良悪は発表者だけでは必ず完結しない.常に相手が居る.「良い発表」の定義は「聴衆のできるだけ全員に,内容が正しく多く伝わった発表」でとでもするべきだ.
筆者が良く学生に与えるアドバイスとして,「相手に伝えるためなら,怒られる寸前まではふざけてもいい」というものがある.これはもちろん,学生に「ふざけろ」とけしかけているわけではなく,「真面目にやることが第一目的ではない」と言うことをどうにか伝えるためだ(これもまた,筆者から学生へのプレゼンである).極端な話,学生が卒論発表でクマの着ぐるみを着て登壇しても筆者は構わない.「伝えるために大きな意味があれば」だ.ただ,普通はそういうことをしても「こいつの発表はろくなものではないのだろう」,というマイナスイメージしか与えない.そういう意味で,我々は学会発表などにおいて,相手に伝える際の余計な失点を防ぐべく,スーツを着用するなどの安全策を講じるわけである.上述の「真面目にやる」ことも,印象面の失点を防ぐ防衛策としては有効なわけだ.
しかし,失点を防ぐことに躍起になるあまり,「正しく伝える」という目的を見失うことはしてはならない.ふざけたたとえ話であろうと,それが相手に伝えるための一番いい方法なら躊躇なく使うべきである.筆者の過去の事例を持ち出してみると,一対比較法という方法を伝える際に「プロ野球のリーグ戦による順位決定みたいなもの」と言ってみたら?という方向性が,学生と相談している中で出てきた.これがベストの方法かどうかは分からない.が,少なくとも「考えうる中で,最も分かりやすい伝え方」であるとは個人的には考えたわけである.
筆者はずっとアカデミアに身を置いており,企業での事情は分からない.ただ,外から新商品発表などのプレゼンテーションを見ていると,どうやら企業の方がアカデミアより思い切った「伝え方」をすることが多い.たとえばAppleのプレゼンなどは随分ふざけていることが多い(プレゼンターがJobs氏でなくなってから,Appleのプレゼンは随分面白くなくなったが…)が,新製品のストロングポイントをいかに「伝えるか」という点において,とくにJobs氏のプレゼンには学ぶべきところが多い.初代iPhoneのプレゼンなど,間,抑揚,ジョークと真面目の切り替え,すべて駆使して聴衆を引き込んでいる.話題の絞り方,広げ方も絶妙だ.ソフトバンクの孫正義氏なども相当プレゼンの猛者である.しばしば反則スレスレの手も使うが,それでも(良い印象も,悪い印象も)強く印象を与えられているわけであるから,孫氏の目的は果たされているといえる.アカデミアの発表も本質的な目的は同じなのだから,とくに学生は「アカデミアでの研究発表だ.真面目な先生の前で発表するんだから,真面目にやらなきゃ」と思いがちだが,それだけに固執してはいけない,というわけである.
自分のフォーマットを持つことと,自分のフォーマットを破ること
プレゼンにおいて,自らのフォーマットを持つという事は有効な方法である.たとえば,プレゼンの初めには必ず発表の目次を見せるというフォーマットを守る人もいるだろう.筆者はそれ自体を否定することではない.目的が「聴衆に伝える」ことを忘れていなければ.プレゼンを修正するうち,目的が「フォーマットに押し込むこと」になっていないか?
自分のフォーマットは「自分が正しく相手に伝えるため」に育ててきたわけであるから,そういうものを持つな,というわけではない.また,とくに学会発表など,アカデミアでのプレゼンにおいては,聴衆がある程度期待するフォーマットというものも存在する.まず研究背景が述べられて,次に関連研究を挙げて…というものだ.その期待に沿ってやる,というのも「正しく伝える」ために重要な方法であることに筆者は異論をはさまない.
ただ,聴衆も発表の場も時間も,プレゼンをする状況は毎回変化する.今まではその方法がベストであったが,次も本当にそうであろうか?前の発表者と関連する発表である場合に,研究背景よりも最初に関連性を述べるべきではないか?自分のフォーマットが有効かは毎回見直す必要があるし,時には自分のフォーマットを破るという勇気も必要になろう.
プレゼンの準備をしていく中で,アカデミアでは,またおそらくは企業でも,自分を指導してくれるセコンドが付くはずである.アカデミアにおいては,研究室の助教であったり教授であったりする.必然的に,プレゼンにはセコンドの意見が反映されていき,「セコンドにとって分かりやすい」発表になっていくだろう.
しかしながら,プレゼン本番での相手はセコンドだけではない.「聴衆」という群を相手にするのがプレゼンである.最初から述べている通り「聴衆に伝える」目的を果たすためには,セコンドの意見だけでは完全とは言えない.
もちろんセカンドオピニオンを求める際にはリスクがある.学生にとって一番つらいのは,複数の異なる指示あるいは助言が下りてくることであろう.このような場面においては,自分のポリシーを決めて,取捨選択できることが大事である.最も望ましいのは「どちらの意見を採れば,自分がより伝えやすいか」という基準であることは明白ではあるが,「偉い方の意見を採用する」という方法も,まあベストではないが一つの方法だ.重要なのは基準を持つこと,かつその中でできるだけ多様な意見を取り入れる姿勢をとることである.
もし,セカンドオピニオンを求めることを快く思わないセコンドが居たら,そのセコンドがしたいことは「発表者に,聴衆に伝わるプレゼンをさせる」ことでなく「独占」である.そのような下らないセコンドのエゴは(可能であれば)無視すべきだ.
まとめ
プレゼンにおいて,「自分の言いたいことを聴衆に正しく,最大限に伝える」という目的はすべてに優先する.「スーツを着る意味なんてあるの?」「私の先生は目次のスライドを外せと言ってきたけど,他の人はみんな目次のスライドを使ってる.発表会では目次はどうしたらいいの?」など,さまざまな疑問はすべて上の目的に従って解決できるはずである.もちろん,発表会において明文化されたルールを守るのは大前提であるし,上の目的を果たすうえでもルール破りは効果的でない.「持ち時間10分の発表で20分話すのがかっこいい!」などと発表者が思っていても,そしてどれだけ分かりやすいプレゼンをしようが,聴衆は「なんか持ち時間オーバーしまくってる痛い奴」としか思ってくれないよ.