子どもの教育は、家や車を買う以上に重要なことだと思う。
しかし、ずっとそう思ってきたわけではない。
日々の暮らしの中で、なんとなく片隅に追いやってきた現実がある。
長男が生まれて、あっという間に17年が過ぎた。
ついこの前まで小学生だと思っていたら、身長がグングン伸びてきて、中学生どころか、もう高校3年生になってしまっている。
5歳ぐらいの時は、日本全国の電車の名前を覚えてしまうぐらい暗記力が良くて、公○式の教室に通わせていたからか暗算も素晴らしく速く、これはもしかして天才が誕生したんじゃないかと思った時期もあった。しかし、やっぱり「鳶が鷹を産む」ことは難しいようだ。
現在は某都立高校に通っていて成績は中ぐらい。さすがに父親としても焦ってきたので、名の通った塾に通わせるようにした。
そのおかげで、本人は理数系が好きになり、学校の成績もあがって、少しずつだが勉強をやる気にはなっているらしい。
しかしながら、範囲が決まっている学校の中間や期末と違って、大学受験は本当の実力が問われるもの。志望大学や学部といった目標を定めてかからなければ、いくら少子化だといっても現役での合格は覚束ないだろう。
東日本大震災から後、10年後どころか数年後だってどうなっているかわからない。
こんな先行き不安定な時代に、子どもに残してやれるものはなんなのか?
子どものために残せるもの・・・それは、教育以外の何物でもないと思う。
金は使えばなくなる。
だから、「親の決断」として、子供の教育費は惜しまないことにした。
今通わせているのは、教育の本質と真摯に向き合い、グローバルな時代で活躍できるように英語の実力を伸ばし、大学受験だけでなく将来にもつながる深い教育をしている塾である。
校舎に足を運び、詳しく話を聞き、ガイダンスにも参加させてもらった。
さすがにオリコンで顧客満足度ナンバー1を6年連続でとっているだけのことはある。
息子には可能な限り幾ら学んでも同じ料金という「パケット制」で登録させた。
ずっと、勉強ができなくても、健康でさえいてくれればそれでいい…そんな風に思ってきた。
しかし最近、そうした考えは半面正しいが、半面は間違っていたとはっきりわかる。
ほんとうの「学力」とは、生きる力だと思い知らされることが多いからだ。
ほんとうの「学力」は、鍛えるべき時期に、正しく鍛えなければならない。
大学受験は、ちょうど良い時期に、ちょうど良い重石として存在しているのである。
子どもに、ただ「勉強しろ!」と言っても、何のために学ぶのかを理解しなければ、ただネガティブになるだけだろう。だから子どもと将来の事を、たくさん語り合おうと思う。
そして大学のことなども、調べてこのブログにアップしていこう。
このブログを読んでくださる方が、いろいろ意見を述べてくださるとたいへん嬉しい。

