本日もブログ『Ω…建築萬紀行…Ω』のアーカイブをお届けします。

 

 

 

 

 

 2008/3/16 

 

№796_地デジ対応テレビを見た!

 

 

先日、実家のテレビが地デジ対応液晶テレビに切り替わった。

近しい人で地デジを観ている人は、仕事場を貸していただいている叔母の家と設計スタッフの家くらいなので、周りでは地デジがほとんど普及していません。しかも叔母は地デジというものがなにか知らないので、せっかくの地デジ対応テレビもアナログ放送を見ているそうです。私も知らないのですが、地デジってチャンネルが二桁で表示されるんですよね。従って地デジを見ようと思うと、わざわざ家電量販店に出かけないと見られませんでした。

そんな地デジ、昨日実家で初めてじっくり見てみましたが、なんと驚いたことにインターネットに繋がっているワケでもないのに番組表がテレビ画面に表示されるのです。しかもその番組表の好きな番組欄にカーソルを動かしてスイッチを押すとチャンネルがその見たいチャンネルに切り替わるのだ。またドラマとか見ている最中に、この俳優だれだっけ?とか思ったら、番組情報を表示すれば出演者とか番組詳細情報が現れる。もうハイテク過ぎて私にはついて行けない。パソコンがちょっとトラブルになっただけでパニックになるような私には青天の霹靂だ。と言うのは大げさすぎましたが、とにかくテレビ時代に革命が起きつつあるのかもしれない。

「ただいまこの放送はカラー放送でお届けしております。」

とかコメントが流れていた時代が懐かしい・・・(^_^;)

リモコンのない時代に育った私には、チャンネルの取り合いはテレビの前でするものだった。当時のチャンネルは、もちろんグルグルまわすやつでリモコンという概念すらなかった。当たり前だが、2チャンネルから4チャンネルに切り替えるためには、まず雨嵐の3チャンネルを通過しなければ行けない。妹とチャンネル争いで雨嵐のチャンネルでダイヤルを取り合っていると、よく母親に、

「ちゃんと見られるチャンネルに合わせなさい!」

と叱られたものだ。

時は流れ、初めてリモコンが搭載されたテレビが我が家に来たときでさえ、リモコンを使うと、あくまでチャンネルのつまみも一緒に回った。例えば2チャンネルから6チャンネルにしようと思えば、3,4,5チャンネルを経由しないとたどり着けない。従ってチャンネル争いはリモコンを死守しただけでは勝てないのだ。まずチャンネルのつまみを押さえ込み、リモコンをゲットしないと勝てないのだ。
だいぶん大人になって、初めてワープ航法が使えるリモコンが登場した。それを我が家では”ぶっ飛びチャンネル”と呼んでいた。もはやリモコンを使ってもチャンネルのつまみは回らなくなった。いやそればかりか、リモコンがテレビの横に挿入され合体されるようになった。そこがそのままリモコン格納ボックスになったので、今のようにリモコンがしょっちゅう紛失することはない。ある意味合理的だったと思う。またリモコンさえ死守すればチャンネル権を我がものにできる幸せな時代に突入した。

こういう時代に育った私にとって、もはやテレビはアナログ的な機械なのだ。今更地デジって言われても、もうアナログでがっちり固まった頭には解析する余地すら残っていない。ちなみに地デジ完全切り替えまでに家のテレビが切り替わっている可能性は少ない。明日から地デジっていう日はどうやって暮らせばいいんだろう。我が家からテレビがなくなる日まであと3年・・・(=_=)

 

 

 

 

 

 2008/3/17 

 

№797_新駅『島本町』

 

 

ガキンチョ(ウッキー&ビッキー)を伴って、JR山崎駅から一駅のところにできた新駅『島本町』まで歩いた。

今まで、私の住む街の駅『山崎』は、そこそこ大都会の高槻市と長岡京に挟まれた駅だと自慢できたが、これからは島本と長岡京の間の単なる田舎駅となってしまった。
そもそも島本町にJRの駅がなかったのが不思議なくらい。大山崎町と比べると人口比率は倍くらいあるだろうし公共施設も整っている。大山崎町は破綻寸前の町な上に、図書館もない。まあ図書室というのはあるが、学校の図書室と同程度の規模だし・・・・
そんな話はどうでもいいんですが、せっかく新駅『島本町』が開業したので、電車好きのウッキーも黙ってはいないだろうと思ったが、ここ数年はJRより阪急電車が好きなウッキー。いまいちノリノリではないが、なんとかお昼ご飯のあと、ハイキング気分で出発した。

自宅から程なく歩くと西国街道に出る。その街道に沿って、府境を超え、約2キロ弱の散歩を楽しんだ。桜井駅跡の公園を越えたところに目的地『島本駅』のロータリーが見えてきた。そこにたたずむ駅舎を見た瞬間、山崎とは比較にならないくらい立派な駅舎にため息が出た。(建築的デザインセンスは考えないようにしてます・・・)

 

 

開業したのは昨日なので、もうイベントっぽい雰囲気はなくなっていたが、土曜日の開業式典には橋下知事もいらしてたそうな。

 

 

駅にはエスカレータとエレベータも常備され、もはや田舎の駅舎とは言いがたい趣だった。しかも展望台のように大きな窓がついた駅舎からの眺めは抜群でした。

帰りは120円の切符を買い、山崎まで戻ってきました。
ウッキーが看板を見に行こうというので、どうしたのかなって思ったら、ちゃんと島本と書かれているかチェックするという。なんとも鉄っちゃんの魂とは凄いもので、侮れない。

 

 

 

 

 

 

 

 2008/3/18 

 

№798_勝手にアクセスの多い記事ランキング

 

 

今日は、ブログ『建築萬日記』内における、この1年間でアクセス数の多い、すなわち人気の高かった記事の順位を発表しちゃいま~す。
私にとっても、意外な記事にアクセスが高かったのでビックリしました。この結果をまったく無視して、今後もコアな趣味の記事を書いていきますから、興味のある方はご覧ください。




第十位・・・2006/9/29「電話女」

今、読み返すと、ケイオプティコムの電話オペレータには申し訳ない行為をしたと思うが、なんといってもケイオプティコムの度重なる怠慢に合った後だったのでご勘弁願いたい。
ケイオプティコムの名誉挽回とまでは行かないかもしれませんが、ここ数年、ケイオプティコムによる嫌がらせにはあっていません。すこぶる快調にインターネットは繋がっております。(笑)



第九位・・・2008/1/11「AutoCADのアニメーション」

AutoCAD2008のアニメーション機能に触れている記事でした。この時点ではブログに動画が添付できなかったので静止画をアップしています。



第八位・・・「Ω‐掲示板・宣伝‐Ω」

まあ、伝言板が上位に食い込むのは当然でしょう。皆さん、何でもいいのでドシドシ書き込みお願いいたします。



第七位・・・2005/7/16「建築事務所の一日 №204」

設計事務所のある一日を書いていたんですね。もうすっかり忘れています。でも、日々こういう忙しさの毎日ですが、ブログを書くことでリフレッシュしています。



第六位・・・2007/4/25「AutoCAD2008体験版」

なんてことない記事ですが、『AutoCAD Architecture2008』という文字を無駄に駄列したので、検索で引っかかっちゃったかな?まっ、いっか。



第五位・・・2008/1/28「A列車で行こう8」

これもどうでもいい記事ですが、『A列車で行こう』の根強い人気が伺われます。そういえば今月、最新版の『A列車で行こう8』が発売だったっけ?



第四位・・・2008/1/30「属性付ブロックの書き出し」

AutoCADの多機能さをうかがい知ることができる内容だと思いますが、ほとんどの人はスルーしているだろう。私も二度と読みたくないし・・・(笑)



第三位・・・2008/2/15「そろそろAutoCAD2009情報」

AutoCAD2009の最新情報にちょこっと触れただけですが、人気がありますね。確か3月21日にリリース予定なので、もし届いたらAutoCAD2009レポートをこの場でいたします。
でも、私が持っているAutoCADはAutoCAD Architectureだった。ちゃんと届くのかな?



第二位・・・2008/2/29「今後のAutoCADに求めたい3D機能」

私がAutoCADの3D機能に求める夢を書いた記事が堂々の2位でした。やはり「AutoCADではじめる3Dモデリング&レンダリング」を執筆した影響があるのかなあ?




・・・さあて、いよいよ究極の第一位の発表です。

・・・実際、私はこの1位の記事がなぜ第一位になったか分かりません。

・・・実は、以前勤めていた会社の先輩から、一人で事務所やっていたんじゃ情報が入ってこないだろうってことで、わざわざ大量のFAXを送っていただいた記事を要約しただけなのだ。それが1位を取得したとは、まったくもって意外と言うほかない。
しかも、普段はテレビ番組やAutoCAD情報など、建築からかけ離れた記事ばかりなのに、このような建築情報を伝える記事が、一年間を通して堂々の第一位になったことには、正直ホッとしている。





第一位








2006/10/31

「構造・設備設計一級建築士の是非」


当時の私は姉歯元一級建築士の起こした事件に熱かった。
もちろん、当時感じたこと、ブログに書き綴ったことは今でも総論として変わっていない。もはや風化した感のある事件だったが、社会へ与えた影響は今もなお色濃く残っている。それどころかこれからもっと深刻な事態に陥るのかもしれない。
そしてまさに今年中に建築士法が改正されるという。一時は一級建築士に試験を課し、出来ない人は免許証剥奪という事態にもなりやしないか冷や冷やでしたが、それはさすがになくなったようだ。ただし、小テストは実施されるという。
いずれにせよ、建築士の憂鬱は続くのだ。




さて、そんなわけで私の投稿した記事の勝手なランキング、お楽しみいただけましたでしょうか?やはりAutoCAD関連記事にアクセスが集中していますね。
もう少し暇なときに、今までに書いた全ての記事のランキングを集計してみます。お楽しみに~(^^♪

 

 

 

 

 

 

 2008/3/25 

 

№799_3Dロフト

 

 

最近、ちょっとバタバタで記事が書けていません。ご容赦ください。
まっ、最近作成した3Dモデリング内に設置したロフトの見上げパースでもアップしとこ。

 

 

そー言えば、そろそろAutoCAD2009が出荷されているはずやけど、AutoCAD Architectureユーザの私にも届くんやろか?

 

 

 

 

 

 

 2008/3/26 

 

№800_漫画ミュージアム

 

 

日曜日に家族揃って京都国際マンガミュージアムに行ってきた。
かなり以前から話題のスポットだったので行きたい、行きたいと思っていたが、たまたま週末に行きたいところが見当たらなかったのでHaHaの思いつきで行ってみることにした。漫画の蔵書の大半が地下に眠っていたのは残念だけど開架書架の50000冊のマンガは自由に読めるし、外の人工芝で寝転がって読むこともできる。
少し驚いたが、入館時に私物をロッカーに預ける必要はないようだった。今時、人を信頼してくれるのはありがたいが、実際問題どうなんだろう。少しずつ蔵書が減ってはいないのだろうか、とつまらない心配をしてしまう。しかもこういった施設では、カメラ撮影とかは常識の範囲でダメだと思っていたら、子供が水飴でオモチャを作るコーナーがあって完成したオモチャを自慢していたら、店番のオバサンが写真機を持っているなら記念写真を撮っておくといいよと勧めてくれた。それならと思ってパチパチ撮った写真がこれ↓

 

 

 

私は館内を子供たちと練り歩き、懐かしい大友克洋の『童夢』を手に取った。早速、校庭(実はマンガミュージアムは廃校になった学校を改修してできたのだ)に飛び出して、読み返してみた。おそらく20年ぶりくらいに読む『童夢』は今読み返しても斬新だ。公団が崩落していく様はほとばしる筆の勢いにしびれる。その後に描かれた『AKIRA』を彷彿させる展開だけど、どこにでもある街並みと子供やお年寄りが主人公なのが斬新に思えた。


マンガつながりで昨日の報道ステーションに私が一番好きな漫画家『ちばてつや』が出ていた。
あの名作『あしたのジョー』の軌跡を追いかけながら、あの時代を熱く語っていた。
どや街から鑑別所、少年院という舞台設定で、今までの少年漫画ではタブーだったに違いない世界から生まれた等身大のヒーローは、その時代に生きた若者を虜にしたし、今もなお色あせないジョーの生き方に人は感銘するだろう。
実は私も『あしたのジョー』を数年前に再度読み返してみたとき気がついたことがある。もしかしたら既にブログで書いたかもしれないが、あのマンガは一見、ジョーと力石の熾烈なライバル物語のように見えるし、実際そうだろうけど、よくよく見ていくと思いのほか白木葉子との切ない恋物語になっているのだ。まあ切ないかどうかは読者の主観によるだろうけど、ジョーと葉子の物語であったと言える。そんなん誰でも気がついているよって叱られるかもしれないが、子供の頃からそういった見方をしてこなかった私には青天の霹靂に思えたのだった。
まず、単純にジョーの行くところには白木葉子がいる。葉子自身もそれほど意識しなかったのかもしれないが、少年院に慰安で行ったり、力石のデビューのため女がてらボクシングジムを創設したり、海外から有望なボクサーを招聘したり、結果的にはジョーの要かなめに登場する。
そしてホセとのラストマッチ、19巻巻末で白木葉子が柄にもなく愛を告白するシーン、そしてそれでもジョーは武道館の眩しいリングに立つシーン。
言うまでもなく、あの有名すぎるラストシーン直前にジョーは自分の血染めのグローブを白木葉子に渡す。
そうだ、そうだったのか、と私は二人の物語だったことに大人になって再読して初めて気がついた。もしこれから『あしたのジョー』を再読される読者がおられたら、二人の絡みに注目して読んでいただければと思います。

おっと、いつの間にかマンガミュージアムの話からジョーと葉子の話に脱線しちゃいました。