紀元180年ごろ、リヨンの司教エイレナイオスは『異端反駁』を著し、現在の『四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)』以外の多数の福音書を異端として糾弾したという。
このたび、『異端反駁』中で、特に激しく糾弾されたグノーシス派に属する『ユダの福音書』のコプト語写本が発見され、出版されることになった。当該写本の書かれた年代は、放射性炭素年代測定によれば、「紀元280年を中心に前後に60年」とのことである。ちょうどローマのコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した時期と相前後する頃であろうか。
しかし、驚くべきは、やはり『ユダの福音書』のその内容である。
キリスト教では裏切り者の代名詞ともなっている「ユダ」、しかしこの『ユダの福音書』では、ユダは裏切り者ではなく、イエスの最も誠実な友人であり弟子として描かれている。
「イエスはユダに言った。『(来なさい)、いまだかつて何びとも目にしたことのない(秘密)をお前に教えよう。それは果てしなく広がる永遠の地だ……そこは天使達でさえ見たことがなく、あまりに広大で、目に見えず、いかなる心の思念によっても理解されず、いかなる名前でも呼ばれたことのない御国がある』」(『ユダの福音書』以下、引用は同書)
そのユダが、イエスによって、イエス自身を官憲に引き渡すように促される。
「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、全ての弟子たちを超える存在になるだろう」と。「真の私を包むこの肉体」という件などは、インド哲学を学ぶものにとって、馴染み深いものである。
さて、そう語ったイエスは、「お前は非難の的となるだろう」との言葉とともに、「目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」とユダを勇気付けたという。
さて、このパピルスに書かれた写本は、エジプト中部カララの村近郊(エジプトのミニヤー県北東部にある洞窟群)で1970年代後半に発見され、かつてナイル川流域で使用されていた古代語であるコプト語で書かれている。発見から公表まで、30年もかかったこの写本の数奇な運命が描かれているのが、この『ユダの福音書を追え』である。無知と欲に振り回されたこのパピルス写本は、30年の間にぼろぼろに崩れ、細かい破片になっていたという。5年に及ぶ修復作業の末に、やっと解読できる状態まで復元できたのだという。
おりしも『ダヴィンチ・コード』が世間を賑わせている昨今、フィクションのない、古文書を取り巻く世界のミステリーに遊ぶのも一興ではなかろうか。
私はこの『ユダの福音書を追え』を読みながら、グノーシス派の教えに親近感を持った。教会や神父のような仲介者を必要とせず、「普通の人間も神と直接交わることができる」という(導く師であるキリストは必要であるが、キリストの教えを完全に理解した者は、キリストその人と同様の神性を持ち得るらしい)。これは、いわゆる原始仏教やラーマクリシュナ等、インドの聖賢たちの言葉とよく符合するものであろう。
グノーシス派の典籍は、現在、ナグ・ハマディ文書として多くが出版されているので、今後、折を見て少しずつ読み進めていきたいと思っている。
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『ユダの福音書』特集ページを掲載中 ナショナルジオグラフィックのHP
このたび、『異端反駁』中で、特に激しく糾弾されたグノーシス派に属する『ユダの福音書』のコプト語写本が発見され、出版されることになった。当該写本の書かれた年代は、放射性炭素年代測定によれば、「紀元280年を中心に前後に60年」とのことである。ちょうどローマのコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した時期と相前後する頃であろうか。
しかし、驚くべきは、やはり『ユダの福音書』のその内容である。
キリスト教では裏切り者の代名詞ともなっている「ユダ」、しかしこの『ユダの福音書』では、ユダは裏切り者ではなく、イエスの最も誠実な友人であり弟子として描かれている。
「イエスはユダに言った。『(来なさい)、いまだかつて何びとも目にしたことのない(秘密)をお前に教えよう。それは果てしなく広がる永遠の地だ……そこは天使達でさえ見たことがなく、あまりに広大で、目に見えず、いかなる心の思念によっても理解されず、いかなる名前でも呼ばれたことのない御国がある』」(『ユダの福音書』以下、引用は同書)
そのユダが、イエスによって、イエス自身を官憲に引き渡すように促される。
「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、全ての弟子たちを超える存在になるだろう」と。「真の私を包むこの肉体」という件などは、インド哲学を学ぶものにとって、馴染み深いものである。
さて、そう語ったイエスは、「お前は非難の的となるだろう」との言葉とともに、「目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」とユダを勇気付けたという。
さて、このパピルスに書かれた写本は、エジプト中部カララの村近郊(エジプトのミニヤー県北東部にある洞窟群)で1970年代後半に発見され、かつてナイル川流域で使用されていた古代語であるコプト語で書かれている。発見から公表まで、30年もかかったこの写本の数奇な運命が描かれているのが、この『ユダの福音書を追え』である。無知と欲に振り回されたこのパピルス写本は、30年の間にぼろぼろに崩れ、細かい破片になっていたという。5年に及ぶ修復作業の末に、やっと解読できる状態まで復元できたのだという。
おりしも『ダヴィンチ・コード』が世間を賑わせている昨今、フィクションのない、古文書を取り巻く世界のミステリーに遊ぶのも一興ではなかろうか。
私はこの『ユダの福音書を追え』を読みながら、グノーシス派の教えに親近感を持った。教会や神父のような仲介者を必要とせず、「普通の人間も神と直接交わることができる」という(導く師であるキリストは必要であるが、キリストの教えを完全に理解した者は、キリストその人と同様の神性を持ち得るらしい)。これは、いわゆる原始仏教やラーマクリシュナ等、インドの聖賢たちの言葉とよく符合するものであろう。
グノーシス派の典籍は、現在、ナグ・ハマディ文書として多くが出版されているので、今後、折を見て少しずつ読み進めていきたいと思っている。
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