巌窟王のブログ

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再審請求後半年                                                                      No.81

 

                      2020212

 

今日は再審請求を提出して丁度半年目です。

最高裁の判断は高裁への差し戻しだと信じて疑わない私ですが提出後半年も経って何の連絡のないのは少々不安です。

前回は2ヶ月後には却下されました。

私の長年の読者や支援者も成り行きに関心を持たれ励ましの言葉とともに結果を案じるメールを送って下さいます。

世界各国権力者の横暴が目に余るような時代になってきています。

アメリカではトランプ大統領が弾劾裁判で無罪となりました。僅差での無罪です。ここでも民主主義の原則、多数決が実行された結果、正義、すなわち真実が審議されたわけではありません。

証人喚問が行われないまま、真偽を検証することもなく審議された結果です。

トランプの支持者以外の大半は憤っています。

韓国や日本はどうでしょうか?

権力者と司法や検察との関係に、国民は違和感を抱いているのではないでしょうか!

同じ事件を犯してもその人の経歴による処遇の違いに対して、不満を持つ国民は苛立ちと不公平感を感じています。

また、政府が東京高検検事長の定年を半年間延期すると決めたことについても、永田町や霞ヶ関に憶測を広げています。

東京経済のオンラインニュースでは次のように報じています。

この検事長は並み居る検事首脳の中でも「安倍晋三首相や菅官房長官の覚えがめでたい人物」とされ、「前例のない定年延期は、検事総長人事も絡めた官邸の介入」と受け止められている。

詳細はオンラインニュースに記載されています。

トランプ大統領が絶大な力を利用して、また多数決という手法を利用して強引に自我を満たす政策を国民に押し付けています。

大統領制が制度により彼は合法的に権力を手中に収めているのも事実です。

大統領制による権力の集中は、隣国で何度も目にする機会がありました。政権が変わる度に前政権の権力の痕跡を抹殺し、より現政権の権力を増強ずる手法を見る度に、日本の制度は素晴らしいのかなと思えました。

良識ある日本国民と選良と呼ばれる国会議員が居る間はそれなりに機能してきました。

しかし、選良とは呼ぶことのできない人までもが政治に携わるようになると、法律を作っては利権を貪ろうとする輩が国会の中を蠢き回っています。

その例がカジノ法案です。「モリカケ問題」は?

検事長の定年延期問題が、検事総長への布石のためだとすれば、巧妙な権力の一極集中の兆しかもしれません。

国会、内閣、裁判所は三権分立として権力の集中を排除するための制度であるはずです。

内閣の意向で提出された原案が、多数決の原理を駆使して国会をすんなりと通り、それが法律となったら、行政が立法府を民主主義、多数決の原則を使って巧妙に利用したと言えます。そしてそれが検事長の人事に関わるとしたら、司法にまで介入したことになります。

これでは三権分立ではなく、三権一体になりかねません。

役人が政治家の意向ばかり気にして仕事をしていると国民は批判しています。

しかし、政治家皆が権力を持っているのではありません。

特定の政治家には役人の人事権を自由に出来る人たちがいることを認識しなければなりません。

アカデミー賞を受賞した「パラサイト半地下の家族」で格差社会を取り上げています。

政治の世界にも格差が歴然と出来上がっています。

権力のある政治家に対しては何も言えず盲目的に服従する政治家が増殖しています。

日本国民は全員が腐った魂を持っているとは思いません。例え検事長が法律の恩恵を受け、定年を延長して検事総長に就任したとしても、検察庁には立派な理念があります。

検察庁はホームページにその検察の理念を記載しています。一部を抜粋します。

前文に続き、これらの姿勢を保ち,使命感を持って各々の職務に取り組むことを誇りとし、刑事司法の一翼を担う者として国民の負託に応えていくとして、その第一番目に「 国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を自覚し,法令を遵守し,厳正公平,不偏不党を旨として,公正誠実に職務を行う」と力強く宣言しています。

私は証拠の検証という裁判の要件に対して、司法の一翼を担う裁判所に懐疑心を抱いて最高裁判所に再審請求を出しています。

もし、ここで司法のもう一方の片翼である検察庁までもが公正でなくなったとしたら、それこそ三権一体となり独裁国家への道を進むことになるでしょう。

大統領制を採用しているどこかの国よりも恐ろしい国家になるでしょう。