ペットを飼うにあたり必要なものはパソコンとカメラだった。(平成)

今はスマホがあれば1台2役なのだろうが、当時はそうだった。

Windowsは98だった。

 

ここ数年は写真SNSのせいでフォトコンテストなども多く、

飼い主バカ祟って応募したりするのだが、

ペットを主にしていないフォトコンテストは惨敗である。

逆に主としているものにはたまに入賞して

「あぁ、君の容姿でこんなに稼いだよ。すごいね。ありがとうね。」

と、私の写真の腕より我が子の容姿をたたえるのである。

そのせいでうちのコは格別に自身の容姿に自信をもっている。

 

今年もこの春の景色と我が同居生物を撮影して歩いているが、

主にペットではないものを撮っているカメラマンから

フォトコンテストに応募してみてはどうか。

写真展に参加してみてはどうかと誘われることがしばしばあり、

どうしてかと尋ねてみれば、

 

最近の作品は確かにカメラが良くなればその分画質も良くなり

美しいことには違いないが、

被写体もアングルもマンネリ化しているそうで、

目を引く、とか

面白い、といったものが少ないのだそう。

 

そういったその方に撮っていただいたうちのコは

やはり私の普段撮るアングルではなく新鮮に思えた。

 

被写体を取り換えて、お互いが撮り合って

それについて話し合ってみたら、きっと何かが生まれるはずだ。

そういうコミュニケーションも面白い。

 

私は、よくよく麦わら編みのバスケットを持ったり、手製のベンチを持った

小型犬の飼い主たちを見かける。

だいたいその上に犬は立たされ、名前を呼ばれても知らんぷりをしているのか

それも斜め45度のモデル王道アングルを決めているのか

だいたい飼い主のいうことをしぶしぶ聞いて、ぬいぐるみのように

無表情だ。

 

でも、今年であったパピヨンは、非常に良い顔をしていた。

飼い主に他の犬が近寄れば一切許さぬぞという勢いで吠えかかるが

写真を撮られることを誇らしげに思っていたり

同居の犬と楽しそうに(見た目のみならず思考も)ならんでいた。

 

写真を撮っている飼い主とも話が弾んだ。

コミュ力高し。そういった感じの飼い主だった。

 

この飼い主にこの飼い犬あり。

このカメラマンにこの被写体あり。

 

被写体が楽しんでいるかどうか、見ているのはとても楽しい。