弥生の別称は「夢見月」

このことを書かずに3月はやってこないような気がします。

昨夜、外に出たら満天の星がきらきらと輝き

冷たい空気から発せられる輝き光線のようなものが星の

輝きを更に鮮やかなものしているようでした。

今日、3月2日は母の4度目の命日です。

昨日の職場の高校の卒業式を終え、その足で弟がひとり

住む実家に向かいました。

仏壇周辺のおめかし。

母の命日は桃の節句の前日だから

仏壇の隣の床の間にお雛様を飾り、

経机の隣の小さなテーブルに小さなお雛様を、

仏花は桃の花と淡いピンクとベージュがミックス

したような淡いガーベラを中心としたものを淡い

ピンクの花瓶に活けて…


弟の家の殺人的な散らかり様は毎年ブログにも

記している通りで、まったくもってけしからんのです。

午後一時に着いて、夕方までたっぷり5時間は

片付けと夕餉の支度をしていました。でも、我々は何か

特別な繋がりを持っているのです。今、54歳の弟がよちよち

あるきの時に父が脊髄損傷になって、それからは私と

弟は特別な何か同士のような、親にべたべたできない

子供同士助け合う・・・そのような関係がいまだにあります。


そして今、我々の両親はもういないのですが・・・


さて、朝、姑が私に何時に実家に行くのかと聞きました。

「昨日、お掃除に行ったから今日は行かないよ」

そう私がいうと、「だって今日はお母様の七回忌でしょ」叫び

えっ! 「全く違うけど」・・・思わずある病気を疑ってしまいました。

だって、4年目ですもんね。

イベントの少ない姑は年頭から今年は母の七回忌と

思い込んでいたらしいです。メモ魔、記録魔の彼女も

年齢には勝てないようです。


先日、2月21日は彼女(姑)の81回目の誕生日でした。

ボケ防止に遊び相手をプレゼントしました。

その名もipad miniちゃんです。

だって、聞いて下さいね。老人の集まるところに

行くには若すぎると言いますし、第一老人は嫌いなんだそうです。

彼女に付き合えるほど暇な人間はいませんし、

友人は他界、病気、耳が遠いなどで条件揃いませんし・・・


それにしても、黒い服に真珠のネックレスに、香典袋に

念珠の準備までしてありましたのは驚き以外の何物でも

ありませんでした。その後、二人で大笑いしたのですけれど・・・


また、実家の近くに叔父夫婦がすんでいまして、彼らは

一か月前にお菓子を仏前に手向けて下さいました。

それは2月2日。

そう、彼らは一か月間違えたのだそうです。


そして落ちは

私は命日にはお菓子の代わりに少し包みます。

でも、卒業式の式場からまっすぐ向かって袋を持ち忘れた

ことを実家に着いて思いだし、「袋ない?」 って弟に聞くと

「名前も書いた袋(使用済み香典袋)があるよ。」って彼が言い

まして・・・

まっ、いいか・・・と。

ところが裏に額面が書いてあるわけです。「ねえ、これって額も

同じじゃないとまずいよね」ってことになり、予定の倍の

額をいれるはめに・・・


すべて「亡き母の遊び心パワー全開」だよね・・・と

弟と話し、大笑いの命日イブでした。

母は見えないけど、いるのです。我々の心にはいつも。

母の笑顔を思いだし、夢見月にぴったりの思い出を

ありがとう・・・って思う母の命日です。


時節柄、皆様、お身体ご自愛くださいね。

ご無沙汰ばかりで本当にごめんなさい。今年1年頑張って

みます。      夢見月2日
バレンタインデーは大学の後期最後の

授業でした。

後期は選択授業で英語が好きな、または

チャレンジャー、または私のことが好きな

学生など、少人数のクラスは非常に好い

雰囲気です。

さて、その最後の授業にたくさんの女の子

から私にまで義理チョコいただきました。

本当に嬉しいものですね。

ただ、その前後から雪掻きと、レポート書き

と高校の期末テスト、大学の後期のテスト

作成、冬中家の中にこもる姑との息苦しい時間

などが私の体を疲れさせ・・・本当に苦しい

風邪ライフを過ごしました。カゼ

昨日、今日とにんにく入りの鍋やちゃんこ風鍋

などを作って食べたら本当に元気になりました。


また、時々、ブログライフ楽しませて頂きます。

とりあえず近況報告まで・・・・

時節柄、お身体ご自愛下さいますようにお酒

東京は大雪だった? らしいですね。

昨日は私立大学の入試もあったので

とっても心配しました。何と言っても我が国の

首都は雪には無策ですからね。

日本海側の列車はことごとく廃止、またはその方向に

流れています。かつて日本海側は北前船で流通が活発で

あったために非常に活気がありました。方言にも京都発信

と思われるものが津軽弁にはあります。

しかし陸上交通が盛んな昨今、日本海側の路線は

ことごとく廃止されつつあります。先の震災時、新幹線が

使い物にならず、津軽に滞在していた旅人達は日本海側

の列車で帰途につきました。


首都機能を分散させて災害時に備えるという案が

大きく取りざたされていた震災直後の日本の声はどこに

行ってしまったのでしょうか? 我が息子たちも住んでいる

首都ですが、そこに住んでいる方々にも今一度考えて

欲しいと思います。感じてほしいと思います。

非難を浴びるかもしれませんが、雪の壮絶を感じる機会を

首都は与えられたのだと私は感じています。今、私は

首都の苦労を共感しているのです。


先日、青森空港の除雪隊、その名もホワイトインパルス

彼らの除雪はプロの技。命がけのようにさえ見えます。

この1月東京に向かう日、友人が飛行機が飛ぶかどうか

心配してメールをくれました。私は全く心配しておりません

でした。青森空港は除雪の遅れのために欠航したことは

ないからです。プロの仕事人たちのおかげで

この日本一積雪の多い空港は飛行機を飛び立たせて

います。このアナログパワーが青森空港を支えています。

羽田には無理でしょうけれどね。


かなり辛口でした。甘いものでも食べてこようと思います。

今、レポート「隠喩(メタファー)解析」終了したところで

勢いで書いてしまいました。失礼があったらごめんね。

f^_^;
しんしんと降る雪は美しい

積もった雪がときおり顔を出すお日様に

照らされるとダイヤモンドよりも輝いている

しかし、そのしんしんと降る雪は静かに

屋根の上にのそのそと・・・・。

重い荷物と化していく。


東京から帰ったら雪がすごい。

ここ数十年雪掻きどころか冬には冬籠もり

夏には夏籠りをする今回ひとり留守番の姑が

雪かきパフォーマンスをしていたらお向かいの

ご主人がやっていてくれた。

今回、姑には留守中、彼女の娘の所か、近くの

温泉ホテル宿泊をプレゼントしたいと言ったら

怒られた。


彼女と暮らすためにはそれなりのルールが必要で

あり、嫁である私は古い人間なのでやはり彼女には

何十年共に暮らしても「緊張」の二文字が付きまとう。

何か生活するためのルールに関しては夫に口火を

切って欲しいと何十回も言ってきたが徒労に終わった。


今日は学校で教える仕事は休みである。

しかし、期末テストの作成、レポート作成、そして

筋肉痛を伴う雪仕事。今日は物置の屋根の雪を降ろした。

降ろした雪を夏場は日本庭園モドキの裏庭に積む。

月曜日は朝8:55に始まる授業の前に雪掻きをし

それからシャワーを浴びて8時過ぎに家をでるのだが

心身共に充実の極みと思っていた私の体でさえ

疲れていた。


ここで、マダム侑加さんが私にプレゼントしてくれた

ハーブティーが大活躍で・・・「おいしい」

そうそう、津軽弁で「メ」は「おいしい」という意味で

「なんておいしいの」な「ナンボメんだ」と言います。

この雪では言葉が短くなるのも合点がいきます。


津軽には「モツケ」という言葉があります。

訳すとしたら「ひょうきんもの」でしょうか。

実は津軽の人間はもともと関西人のような「面白い人」

の要素があるのです。私の母なども、私の息子も

人を笑わせないのは罪のように思う類の人間です。

こんなに雪に覆われていたら笑わなければやって

られませんもんね。


雪掻き直後の私でした。 汗だくです。
この10日が締め切りのレポートを

夕鶴のおつうさんが自分の羽で

織物を作ったように身を削る思いで

完成させました。


16人のエディンバラ縁の作家を取り上げた

本を読んでレポートを書くという課題です。

清濁併せ持つエディンバラ、教養人が多いエディンバラ

そこが題材としても購読者を獲得するという意味でも

作家にとって条件がそろっていたのでした。


さて、その中でもっとも印象に残ったのがバリです。

バリと言ってもピンとこないかもしれません。

ピーター・パンの作者です。

私と同様にイギリスの作家ではないの?? と思う方も

おいでかも。

ピーター・パンやウエンディーがネヴァーランドに向かう時に

一休みする場所はロンドンの国会議事堂の時計台

ビッグ・ベンでしたしね。


バリは幼くして兄を亡くし、それを嘆き悲しむ母に

寄り添うように生きたのです。私の叔父が20歳で

白血病で亡くなったのですが、それ以降祖母は残された

彼の弟を亡くなった叔父の名で呼んだりしていたそうです。

母の愛はそれほどに深く、それ故に悲しみも深かったはず。

バリは健気にお母さんを慰め続けたのでしょうね。


ピーター・パンは妖精です。

幼くして天に召される子達を途中まで案内するお役目

の妖精。 

幼くして亡くなった兄が天までの途を安心して辿れる

ようにという願いが込められたのでしょう。


バリは結婚するのですが一般的な男性のように相手に

異性ではなく母性を、それよりもむしろ人間愛というべき

ものを求めていたようです。


レポート提出のために読んだ文学史の本でですが、

文学史を知ることは人の息遣いを聞く事だったと感じつつ、

完成したのは朝4:30それを少々推敲し、5:30にパソコン

経由で提出し6:20の空港行きの乗り合いバスに飛び乗

ったのは1月9日のことでした。
   明けましておめでとうございます。

新年はどのような幕開けでございましたでしょうか。

単身赴任中の主人と息子たち二人が合流し

  3人で帰宅したのが昨年の12月28日。

その日から一週間ほどは賑やかな日々でした。

クラス会がある者もあれば、飲み会がある者

   ラーメン食べ歩き道に邁進する者

   津軽では31日がパーティーです。

姑は陸奥横浜のなまこが解禁になりますので

    「なまこ」「なまこ」と騒ぎます。

  じゃあ、とりあえず乾杯・・・って感じで

ついでの12月28日誕生日の長男のために

       乾杯をしまして・・・

   次男と一緒にケーキを作りました。


 もちろん、この日々もパソコンの前でレポート

作成に励み・・・ながらピグのお庭に遊びに行ったり(^▽^;)

 いまだに使い方がわからず失礼無礼ばかりですが。

     
  二人の息子たちはそれぞれのパートナーを

探し当てているようでした。嬉しくもあり、寂しくもあり

次男に「楽しい?」って聞いたら「楽しい」と答えました。

次男は大学からずっと弘前に住んでいませんので

       何かずっと心配でした。

    心配の一つが楽しんでいるかしら?

       ということだったんだと確信。

 彼が「楽しい」と言った時にとっても嬉しかったのです。

別に子離れ対策のために、大学院で勉強しているわけでも

仕事しているわけでもないけれど、私の大好きな仕事が
   
 私を今までも、今も、これからも支えてくれるのね


 あらためまして、遅ればせながらの新年のご挨拶と

     本年もよろしくお願い申し上げます。
今日の津軽の空は美しい、穏やか色の

青で塗った絵のように美しいです。

例年よりも気温が高く冬ではなく秋にいるような

錯覚に陥ります。そして間もなくこの津軽の地は

雲の壁に包まれた雪化粧のおうち・・・になるのです。

これがよその国の話しなら美しい話なのに日本では

ダメですね。これは首都が東京だからです。

ニューヨークなら当たり前にみんなが想像できる景色

が日本の代表である我々の払う税金で働く人たちには

目に入らない。そんな陰があるんですよ。


現在16人のエディンバラゆかりの作家たちに関する

本を読んでいます。課題でもなければ絶対に読まなかった

であろうこの本を14人目の人生までを読ませて頂き、

エディンバラの光と陰、人間の持つ光と陰を痛感して

おります。

ここ津軽で思い浮かべるのは富豪(地主)の家に生まれた

(太宰治)津島 修治のことです。彼の句碑にある

ヴェルレーヌの「選べれしものの恍惚と不安二つわれにあり」

が彼の気持ちを想像するに十分な言葉のように思えてきました。

太宰は同級生が貧しさのために売られていくのを目の当たり

にした・・・という件が以前東奥日報の鎌田慧さんの記事に

記載されていたような(記憶が正しければ)・・・ということは

どれだけ心は苦しかったことでしょう。自分はぬくぬくと

そこにいて、その貧乏な家に生まれた娘は売られていく。


高校の聖書の時間に映画館を授業の場として下さった先生

が見せてくれた映画の中のひとつに

「Brother Sun Sister Moon」があります。

主人公フランチェスコが突然、服を脱ぎ

「イエスのように乞食になります」

と言って労働者の搾取で豊かになった父の家を去り、

後の聖フランチェスコとしてアッシジで布教活動を始めます。

考えてみれば仏陀ゴータマ・シッタルダはシャカ家の王子

ですからね。



エディンバラは大英帝国が「世界の工場」と言われた時代に

イングランドに吸収合併的な形で統合されます。政治は

イングランドに移り、知識層はスコットランドに残るような構図。

清濁があり貧富があり両極端が存在する街

北緯55.94944度の街は日本の首都、東京では感じ得ない

環境があったはずです。エディンバラとロンドンに見られる

ギャップは東京と地方、特に青森とは大いにあり文字通りの

温度差が全体の発展を阻害していると感じることが多いですね。

正に光と陰。なにが光かはその時々によって違うでしょう。


レポート用の本に戻りますと

スコットランドのアイデンティティーを守ろうとする機運の高き

時代のアラン・ラムジー―1686年(頃)生まれ―から

アーヴィン・ウェルシュ―1958年生まれ、イアン・ランキン

1960年生まれまでと年代の幅が広いのですが共通の何か

を少しずつ見つけ始めています。

これまでのところ、光あるところに必ずしも心の光なし

されど、光なきところにも必ずしも心の光がさすとも限らない

そのようなところです。

長かったですよね。ごめんなさい。失礼いたしました。


今日と明日はoffです。 そしてレポート作成がon

なるはずなのですが、親孝行の日にもなっておりまして・・・

体調管理のため私はプールで汗が出てくるまで歩き

その間、姑は同じ施設の温泉に浸かっている

それ故、親孝行の日と申しました。


きっとなんでもそうなのでしょうけれど、そのことに向かい

始めるそれ用の脳ができてくるのかしら。

先日などは自分のレポートにほれぼれしたりして・・・

だからっていいお点が頂けるとは限らないのですが・・・

息子との先日の電話でのやりとりで私が57歳で頑張って

いるのが刺激的だ・・・と褒めて?? くれました。


この長男もかわいい女の子が隣に座って特別なpartyが

開かれるのもそれほど遠い未来ではないようで本当に

楽しみなんです。

きっとお笑いになると思うのですが、亡き母が私が嫁ぐとき

「かぐや姫を預かっていたの」と言いました。

野良仕事をする母である、脊髄損傷の夫の代わりに

社長業をこなした人であり、小姑鬼千匹を経験した母、

そのような環境にいる母の口から「かぐや姫」という

単語が出てきたので笑ってしまいました。

三十数年経った今でも記憶にあります。


人はきっと生まれた時から生きる道が決まっていてその

方向に進んでいる・・・それを親は手助けするだけ・・・と

母は言いたかったのかな・・・

多くの人と出会い、喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも

その道には必ずあって進む道。


その道の最中で現在レポート作成中。エディンバラに

生きた文人たちの生きた足跡を辿っています。

素敵な道が多くの人を待っているといいですね。

それではエディンバラの文人に思いを寄せてレポート

作成に励みます。  へばね(*^▽^*)



金曜日は息子の高校のPTAの仲間たちと

当時の校長先生を囲んでparty

お食事は農をなさる彼の手作りのお料理が

並ぶ。スモークのウインナーはもちろん

手作りのスモークグッズ(ドラム缶くりぬいた

ものに、チップはリンゴ)

来年は彼の手作りピッツアPartyになるらしい。

七十代半ばの津軽の男性の教養と実行力と

そして食へのこだわりは半端ない。


土曜日は息子よりも若い職場の同僚の

結婚式

昨日は長男から電話があり来年1月から本社

出向なのでそこで彼女との生活を始めたいと

本社総務に住処を斡旋して頂いているとの電話

内容はそれ以外は愚痴・・・一時間半を要す。

昨日の午前はDIYショップにて庭の植物の雪囲い

グッズ購入。そして息子がしばらく乗らないと

して我が家のカーポートに入っている車の

タイヤ交換(ノーマルタイヤ⇒スタッドレス)

こうして冬の準備をしながらも頭の中は現在

レポート作成中のエディンバラの作家たちの

歴史がぐ~~るぐる(@_@)


長い間留守にしていたらアメブロの様子が少し

変わっている。私がつい先ごろ問題が発生して

止めたfacebookのような「いいね」があり多少

困惑…

とりあえず、私は現在かように生活しております。


中国どうした?? なんてこと??


それでは近況にのみにて、朝一番の授業なので

行ってきます。(^-^)ノ~~
昨日、生徒が「今日はポッキーの日だよ、先生」

と言った。

あなたたち、11月11日は第一次世界大戦が

終わった日ですわよ。

ひえぇ~~~ 

生徒は絶句していた。


今年はあと50日も残していない。

とはいえ、私にとって今年2013年はあまりに

長い。

まだ50日も残っているのね。 

取得単位の少なさからは短いと感じるべきなの

でしょうけれど・・・ここのところレポートは順調です。

「A」続きですの。 やったでございます。


2月の入学試験、4月の入学式、8月のスクーリング

その間に(などと言ったら怒られそうだけれど・・・)

自分の仕事をし・・・後期は私の授業が不人気のため

一クラス減となり、レポート提出にせっせと勤しむ。

この57年の人生で、これほど長いと感じた年はなか

ったかもしれない。どの瞬間も濃い時間の連続が今年

でした。あと50日も濃いのかも。



昨日、仙台に住む大学時代の同級生から手紙が来ました。

「12月中旬に仙台では光のページェントが始まります」

彼女から仙台へのお誘いがありました。

「一緒に温泉に行きましょう。」

彼女がお宿を手配し、私を招待してくれるのですって。

持つべきものは金持ちの友人。

今日は、「お言葉に甘えます」・・・の手紙を返信しました。

息子が仙台の市街地に住んでいたのにそれを楽しむ

余裕もなかったのに・・・年をとるって素敵なことですね。


それでは、次回もAをマークをつけさせてみせるぞ・・・

レポート作成に入りまする・・・メモ