今日、ブログを書くと決めていました。

怒涛の3連発でレポートを提出しました。毎月10日

が締切で、昨日のお昼に提出し、今日からまた次の

レポートに取り掛かります。今日だけは丁寧にブログを

書き、手紙を書き、そして少しだけリラックスする日

と決めました。

特にこの10日間ほどは戦いでした。

書きたいという欲望めらめらです。(-_☆)


ヴォーカリストのmamiさんとは2度お電話でお話し

したことがあります。彼女は私の声帯を「若い」と

言ってくれました。そういう褒められ方は初めて

でした。髪の毛の薄い姑に「髪がまだ豊かね」と

褒められたことはありますが・・・


mamiさんのこの曲は私の母が

病院のベッドで最期を迎えようとしていた時

病院往復のドライブの間、聞いていたものでした。

母は若い時には砲丸投げの選手で、筋肉ふとっちょ

なのに走るのが早く、夫婦げんかで追いかけてきた父

が追い付けなくて、転んでたから可哀そうで戻った・・・


そんな父も30代後半に大怪我をし脊髄損傷に・・・

下半身不随の夫を支え、家業を切り盛りし

それでも授業参観を欠かしたこともなく、

八つ当たりなどとんでもない・・・

一生懸命に生きた母との時間をこの曲と共に再現し

母との別れの準備をしました。それは悲しいことで

はなく母から頂いた特別な愛を確認する甘いひとと

きでした。ピーター・パンを書いたバリは母の

悲しみを慰める役目をはたしていたので母性愛が

不足な人でした。私も父がそのような状態でした

からずっと「母を困らせたくない、いい子」でした。

豊かに母との時間を再現するためにmamiちゃんと、

そしてこの曲に逢えて本当によかった・・・

ヴォーカリストmamiの真摯な生き方、本当の意味で

「生きる」を体現している彼女に尊敬と感謝を込めて、

またもうすぐ母の誕生日がやってきます。

生きていれば80歳

この年になっても母に抱かれたいと思います。

この曲を聞くと大切な人との時間が蘇るようです。



追記

大切な記事ですので、商業目的などのコメントは
削除させて頂きます。