陸羯南生誕150年・没後100年記念特別展示


陸羯南と正岡子規


昨日は開会式が行われ、テープカットが目の前で行われ、


下の図録(資料)をいただきました。



図録をデジカメで撮ったものですので、写りはあまりよくありません。


図録の中には陸羯南がヨーロッパ視察旅行に行った時に日本に送った


絵葉書などもありました。


中には当時の水着姿の女性が描かれている絵葉書などもありました。


それは奥様に送られたもののようです。


また、ベルギーでは司法省法学校時代の友・加藤拓川(かとうたくせん)


(当時ベルギー公使)と囲碁をさしている 写真など、明治の特別な人間


に与えられた環境があったことが伺えます。明治34年には近衛篤麿の


清韓視察旅行に随行した際、娘が7人いる羯南に大韓帝国の皇帝から


下賜されたチマ・チョゴリなどもありました。


今回、ゲストとしておいでの最上義雄さんは羯南の四女さんのお孫さん


にあたります。


羯南はトモエさんにそのチマ・チョゴリを着せ、病床の正岡子規をトモエさ


んや他の娘さんと共に見舞います。子規の「仰臥漫録」の9月5日に有名な


子規の写生画「朝鮮少女の服(チマ・チョゴリ)が、「仰臥漫録」中最も明るく、


微笑ましい写生画だということです。


このトモエさんは羯南がフランスから買ってきた本でフランス語を勉強し、


ある有名な文人の娘さんにフランスを教えたそうです。


陸羯南は娘達に女性も外に出て働くことを勧めます。当時としては稀有なこ


とでした。但し、女性の高等教育にはあまり賛同しなかったようです。それは、


高等教育が女性から柔軟さを奪うという見解からです。


でも、これは明治の話ですからね

津軽の方言に「じょっぱり」という言葉があります。標準語にし難く


敢えて訳すとすると「頑固・一徹」いい意味でも・悪い意味でも筋


金入り というニュアンスがありますが、陸羯南に素晴らしい意味での


終始ブレないその思想に「じょっぱり」魂を見出すのです。


それでは・・・


皆様の今日が素敵な一日になりますように。