こんばんは、ようへいです。

この度、柔術紫帯をいただきました。

宮城に来たのが10年前。
その当時、大学まで続けていた柔道をする機会はありませんでした。

仕事も駆け出しで忙しく、趣味らしいものなんて持てませんでした。

そして、今から4年前、少し仕事が落ち着いてきたとき、押し入れにしまってあった帯を発見。

『もうやらないの?』

と語りかけられた気がしました。

師範との約束を思いだし、道場探し。

寝技中心の格闘技という言葉が気になり、石巻の柔術アカデミーに入りました。

学生時代、膝を怪我して立ち技が思い通りにできない自分にはもってこいでした。

しかし、やってみると柔道の寝技とは大違い。

スピードが違うし、押さえ込んでも試合は終わらない。

相手に『参った』と認めさせないとだめ。

最初の頃、押さえ込んでもそのあとどうしていいか分からなかったり、
ヤバくなると『亀』になる癖に悩まされました。

でも、『参ったさせる』という格闘技の純粋さに魅力を感じはまっていきました。

しかし、蜜月とは長く続かないもの。

はじめて3ヶ月で転勤。
中々練習もできなくなりました。

そんな中、柔術を始めた最初の夏。

チームメートが全国大会で満身創痍の準優勝をし、その姿を見て
『自分も上を目指したい。』
と思うようになり、少ない練習時間を工夫しながら各種大会に出るようになりました。

試合の結果は
まあ、勝ったり負けたり...

でも、その甲斐あって
はじめて1年で青帯。
そして、寝技の技術が少しずつ認められ、柔道界にも復帰。
宮城にもライバルや友達も増えました。
震災で1年休んでたものの、4年目で
紫帯となりました。

目標は当然黒帯。

柔道でも柔術でも同じ黒帯をしめれるようにすることが初心でしたから。

当時しめたいと思っていた黒帯はもうないけど、志はそのままです。

日々これ精進です。




Android携帯からの投稿
とりあえず、

今日何かしら始めたくて

筋トレしました。

懸垂して、チューブ引っ張って

腹筋して、痛くて動けなくなるまで

やるのがノルマ。

限界を繰り返し強いるけど

中々潰れない体。

自分に勝つことから始めたかったんです。




Android携帯からの投稿
ようへいです。

今日は午前中、柔道クラブの送別会。
焼き肉食べ放題。

巣立つ選手一人一人に記念品として
『帯』を渡しました。

これから柔道を続るにしても、そうでないにしても、今までの努力の明かしになるから。

『大事にずっと使います。』
どっかで聞いた言葉。

その後、去年の自分が被災した場所、

避難下道のり、石巻にたどり着いた道のりを辿りつつ、途中で黙祷。

そして最後に来たのがここ。あの日自分に現実を突き付けた場所。


あの時、震災から3日経っても消火活動が行われていた。

情報もなく、とにかく避難して、何とか石巻にたどり着いて、見た津波の爪痕。
感情は消え失せ、体から力が抜けた。

そしてその後に心臓を鷲掴みされたような恐怖が押し寄せた。
現実と受け止めたくなかった、逃げてしまいたかった。
でも、自分の居場所はここしかない。
だから、自分に現実を叩き込むために、下に降りて南浜を歩いた。
わき出る感情は自分で徹底的に圧し殺した。

しかし、それから時間がたち、少しずつ、片付けが行われ、
『がんばろう!石巻』
の看板が立てられた。

瓦礫の中に力強く立つ看板に勇気付けられた。

そして、日常の挨拶、助け合いが希望を育んでくれた。

大きすぎる恐怖、絶望。

でも、それを希望にと変えてくれたのは回りの人たちの強さや、繋がりだった。

本当にありがとう。

近所のじじ、ばば様。

必死に自分の安否確認をしてくれた親友達。

自分を省みず支援物資を長野から石巻に届けてくれた叔父。

大変な心労をかけてしまった両親。

この一年を一緒に切り開いていった仲間。

自分についてきてくれたみんな。

自分の話を聞いてくれて涙を流してくれて『自分もがんばる』といってくれた人。

自分より頑張っている人がいたから
ついてきて支えてくれた人がいたから
共感してくれた人がいたから

今、自分はここにしっかり立っていられます。

ありがとう。

自分はここにいます。
ここでがんばります。なにがあっても
明日もこれからも。



Android携帯からの投稿