近所で有名なしだれ桜を見てきました
平日だったのであまり混んでなくて
じっくり見ることができました

樹齢は約1300年だそうです
信じられませんね
ほぼ満開で
とても美しい桜でした
まるで夢の中にいるような気持ちになりました


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埃っぽい真夏の停車場で僕はバスを待っていた

太陽は頭のてっぺんで
容赦ない焼け付くような日差しをジリジリと照りつけていた

熱風が白い砂を舞い上げている
一瞬ハレーションを起こしたように目眩がした

そんな時に
やっとバスがやってきた


いまどき冷房もない珍しいバスで
すべての窓を開け放していても汗が噴き出して止まらないほど暑かった

乗客は老人と赤ん坊を抱いた母親
それに若い女が一人だけだった


若い女はチラチラと僕を覗き込んでいる

一体なんだというのだ

20代中ばぐらいだろうか

ショートカットの勝ち気そうな顔をした可愛い女だった

しかし僕はぶしつけな視線を送られて少し不機嫌になって窓の外を眺めた

バスはゴトゴト山道を越えて緑の木々の中を進んで行った

暑さで意識がだんだんと途切れ
ウトウトしかけた頃に
バスは終点のひなびた海辺の町についた

強い潮の香りに社中は包まれていた


降りたのは老人と若い女それに僕だった


太陽は少し傾き
潮風のせいか暑さも和らいで感じられた

僕はバス停のベンチに座って煙草をふかせた

若い女は僕をじろりと横目で見て
旅行カバンを抱えてどこかへ去って行った


このひなびた海の町に大した目的などなかった

ただ昔付き合っていた女と
一度だけこの海に泳ぎに来た思い出だけがあった


しかしそれも5年も前の事だった


僕は海岸沿いにブラブラ歩きながら
売店で取れたてだという貝とビールを買って砂浜を歩いた

海水浴の人達を避けるようにして誰もいない砂浜まで歩き続けた

夕陽が沈もうとしていた
大きな太陽はオレンジ色のかげろうをまといながら少しづつこの日の仕事を終えようとしていた


僕は波で流れついた木の枝を見つけると
砂浜に昔の女を思い
ラブレターを書いた

あの時に言えなかった言葉をどうしても書いてみたくなった


それから小さな枝を拾い集めて
火を着けて貝を焼いた

パチパチと炎が燃えて
貝が開き
あたりにいい匂いが立ち込めた


人の気配にふと振り返ると
バスの若い女が立っていた

「やぁ」

僕が声をかけると

女は始めて微笑んだ

「一人じゃ食べきれないんだ。一緒に食べてくれないか?」

そういうと女は

「うん」

とうれしそうに笑った


僕らはビールを飲んで貝をつまんだ

女はバスの中の不機嫌そうな顔が嘘のように
よく笑い
よく喋った


いつの間にか周りは暗くなり

満潮の波で

ラブレターは少しずつ消されていった。









前の日記は
森田童子という昔のフォークシンガーの歌詞です

いまの若い人は彼女の名前すら知らないことでしょうね

あえて言うなら
十数年前にヒットしたテレビドラマ「高校教師」の主題歌 がこの「僕たちの失敗」でした



森田童子が活躍していたのは昭和50年代のことでした

黒いサングラスにカーリーヘアーの独特のスタイルは
見た目、男なのか女なのか分からないような歌手でした

作詞作曲はほとんど彼女の手によるもので
繊細で透明感のあるその歌声で歌う世界は
人間の暗い内面を歌ったものが多く
当時彼女のファンが何人も自殺に走った為
生きる希望を否定する危険思想を植えつける歌手というレッテルを貼られたようでした


そんな話を聞いていたので
「僕たちの失敗」に心惹かれながらも本格的に彼女の歌を聴くことを僕は意識的に避けていたように思います



いまから6年ほど前のことでした
あるSNSのコミュで
「森田童子のコミュ」があることを知り参加してみました


やがてその中の一人の女性と時々コメントを交わすようになりました

まだ若いのに森田童子を熱く語る彼女をとても不思議に思いました


5年前のある日
巨大な地震が東北地方を襲いました

未曾有の大災害をもたらした東日本大震災でした

マグニチュード9の大地震は東北の街並みを破壊し
地震による大津波は東日本の海沿いの町を呑み込んで一瞬にして多くの命を海に連れ去って行ってしまいました


彼女はちょうどその被災地の真ん中の岩手県の海岸線沿いに住んでいました


僕は彼女のリンク友達ではなかったのですが
3月11日の大震災の日からログインしていない彼女がとても心配になりました

彼女のホームにはたくさん友達から安否を心配する声が続々と寄せられていました

僕も祈るような気持で毎日彼女のホームをチェックしていましたが
1ヶ月近くログインした跡のない彼女に
僕は最悪の状況を考えざるを得ませんでした

なぜなら岩手県の海岸線沿いは巨大な津波の為に多くの町が消え去ってしまったからです


2ヶ月近く過ぎたたある日
ある人から「彼女がログインしてるよ!」というメールを貰いました

彼女のホームをチェックすると
本当に久しぶりに彼女がログインした跡が残されていました


やがて彼女の
「わたしは無事です。心配をおかけしました。でもすべてを失ってしまいました」
という言葉がアップされました

僕は本当に心から生きていてくれて良かったと思いました

いろんな人達から彼女を励ます言葉が次々と送られていました


しかし…僕は
「生きていてくれて本当に良かったです」

という言葉の後に続ける言葉がどうしても見つからなかったのです


何もかも無くしてしまった人に「頑張って」とか「また一からやり直せばいい」などという言葉はあまりにも残酷な言葉としか思えなかったし
現実的に何を彼女にしてあげたらいいのか分からなかったからです

実際、いろんな人達からの激励にも
彼女から返ってくる言葉はほとんどのありませんでした


僕は
「なにもかも無くしてしまったあなたにどんな言葉をかけたらいいのか僕にはわかりません。ただあの大震災の日から多くの人達があなたを心配してたくさんのコメントを残していたのを僕は知っています。そしてあなたがログインしたあの日にどれだけの人達が自分の身内のことのように喜んでいたかを僕は見ました。僕もその一人でした」

どうしても伝えたいこのような気持だけをコメントしました


それから少しして
だんだんと元気を取り戻しつつある姿を他の人とのやり取りの中で感じることができました

僕とのやりとりの中で
「私の実家は津波に呑み込まれてしまいました。何も残っていません。あの日から何もする気になれなくて…。でも、森田童子のレコードが何枚か残りました。親戚の家に預けてあったのです。それだけが私の財産です。」
そのコメントを読んだ時は自然と涙が溢れました


それからしばらくして
彼女は突然そのSNSを退会してしまいました


自分の中に何の力にもなれなかった無力感だけが残されました


数ヶ月後
一度だけコミュに「また出直します」というコメントを残した彼女を見ました

しかしその後また退会してしまいました

それが彼女のコメントを読んだ最後になりました




最近また森田童子を無性に聴きたくなります

彼女の歌声は
美しく切ない冷たい空気を漂わせながら
僕の胸の中を通り抜けていくようです


いまは絶望を歌う歌ではなく
若者の純度の高い繊細な感性をそのまま写真のように焼き付けた美しい歌だと感じるようになりました

そして聴くたびに
退会してしまった彼女を思い出します



あの大災害から5年の月日が流れました
被災地の復興はいまだ道半ば
原発問題も含め充分なメドはたっていません




今ごろ彼女はどうしているのでしょう

元気でいるといいんだけど。