僕が大阪にいる一週間は、仕事が終わるとほぼ毎日先輩達に「樹海」に誘われた。 

僕はもともと外交的なタイプではなく、お酒もあまり好きではなかった。 

なのでたまには寮の部屋でのんびり読書したり、テレビを見たいと思っていた。 


しかし、寮での夕食が終わるといつも中井さんが右手で飲むジェスチャーをして、

「そろそろ行こうか?」と誘われるのだった。 


 「はい。行きましょうか!」 

と心にもない笑顔でいつも僕は答えた。

 それは毎月の4分の3は大阪にいないからだった。

少しでも会社の人との信頼関係を作っておきたかったのだ。

僕がずっと大阪にいて毎日誘われたら、流石に時々は断っていたと思う。 

それに先輩が毎日僕をスナックに誘うのは、単なる遊びではなく営業マンの勉強の一つだと思っていたと思う。 

実際、たまに会社の女の子も一緒に行く時は、

「もっと積極的に女の子をリードしなくちゃいかん。」とか、 

「営業って言うのは、ギブ、アンド、テイクじゃない。ギブ、ギブ、ギブ、ギブ、ギブ、アンド、テイクなんだ。」

 という感じで懇々と言われたものだった。

 ただ、ほとんどの場合は単純に楽しい時間だったので誘われる事は嬉しかった。


僕はビールよりウイスキーの水割りの方が好きだ。

グラスを持って琥珀色の酒を眺め、口に含むと大人の世界に入っていくようだ。

グラスの中の氷が溶けてカランとたてる音が好きだ。


カラオケのレパートリーも増えていった。

先輩の歌う歌や他の客が歌う歌で気に入ったものを密かに練習した。


「大阪ナイトクラブ」

「恋する御堂筋」

「昨日の女」

「星降る街角」

「夜の銀狐」

「さよならは五つのひらがな」


中にはこんな歌聞いたことがない、という歌もあった。

その中の一つが

「三つで五百円」

という歌だった。


この歌を歌ってくれたのは細井さんだった。

「上司の宮本さんがよく歌う歌なんだけど、変わった曲なんだわ。」

と言って歌ってくれた。


「いかがでございましょうか?いかがでございましょうか?三つで五百円でございます。演歌、フォークからコンチネンタルタンゴまで。三つで五百円でございます。いかがでございましょうか?いかがでございましょうか…」


酒場にギターを持ってふらりと現れ、酔った客に好きな歌を三曲聴かせて500円をもらう、そんな流しのギター弾きの悲哀を歌った歌だった。


「初めリクエストされて、そんな曲あんのかなぁ?と思ったら、カラオケにあったわ。」

ケイちゃんが笑いながら言った。


「ほんまになぁ、うちらよりお客さんのほうが良く知ってるわ。」

とエキゾチックなママも笑った。


「オマケちゃん、もう仕事慣れた?」

ケイちゃんが言った。


「う〜ん、まあ少しは慣れたけど、いろいろ失敗もあるしね。日々勉強かな。」

と笑うと、


「せやなぁ、毎日勉強。死ぬまで勉強やな。うちも最近、勉強したいなぁ、って思うねん。接客業だからこれでも毎日新聞をよく読んで店にくるんやで。でも、それだけじゃもの足らなくて、なんか哲学の勉強がしたいと思うねん。」


「えっ?いきなり哲学?」


「うん。オマケちゃん、なんかわかりやすい哲学の本知らん?」


「う…ん、ちょっと調べてくるわ。」


「悪いけど頼むわ。」


いろいろ調べて悩んだ結果、僕が持っていた高橋庄司さんの「ものの見方考え方」という本を選んだ。

僕が大学時代に先輩から勧められて、読んで感動した本だ。

とても分かりやすくて、しかも新しい考え方を教えてくれる素晴らしい本だった。


次に店に行った時にケイちゃんに渡した。

「ありがとう、オマケちゃん。しっかり読ませてもらうわ。」

ケイちゃんは嬉しそうにそう言った。