賢治の嘉内に対する想いは
友情を超えた恋愛感情だった
賢治はこんな意味の言葉を残している
「 すべての人の幸いを願って結ばれる恋愛は宗教的情操で、最良の恋愛だ。
他の人の事は考えずただ二人だけの道を行くのが、普通の恋愛だ。最低の恋愛は性欲だけで結ばる関係だ。ただし、人間というのは、性欲から始まって宗教的情操への高みへも行けるのだ。」
賢治は新たな人生を始めようてしていた
大正11年11月
花巻女学校の教師をしていた妹のトシが24歳の若さで病死した
トシの為に何もしてあげれなかった賢治は、トシの魂と交信する為に樺太への旅に出る
この時に作られたのが「 青森挽歌 」という詩だった
「 こんなやみよののはらのなかをゆくときは、客車のまどはみんな水族館の窓になる
汽車は銀河系の玲瓏 ( れいろう ) レンズ、巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる、りんごのなかをはしってゐる」
銀河を走る夜行列車のイメージが書かれている
このイメージをもとに「 銀河鉄道の夜 」は着想された
「 銀河鉄道の夜 」は謎の多い作品だ
賢治は長い時間をかけて何度も改稿を重ねて生前は発表することのないまま未完で終わってしまった作品だった
銀河鉄道の夜はケンタウル祭という日の出来事から始まる
もちろんそんな祭りなど存在しない
いったいケンタウル祭とは何なのだろう
そのカギがその頃に書かれた文語詩の
「 敗れし少年の歌へる」だ
「 きみにたぐへるかの惑星の、いま融け行くぞかなしけれ」
きみだと思って見ていたあの惑星が、いま夜明けの光に融けていくのが悲しい
「さながらきみのことばもて、われをこととひ燃えけるを」
まるで君が私に声をかけようとして訪れて炎のように輝いてたいたのに…
敗れし少年とは明らかに恋に敗れし少年で、それはつまり賢治でこれは失恋の歌なのだ
ケンタウル祭とは七夕のイメージで、土星とケンタウルス座が出会う夜なのだ
賢治はよこしまな修羅である自分を、今度は半身半獣の怪物のケンタウルスに例えていたのだ
土星はもちろん嘉内だ
「 銀河鉄道の夜 」は嘉内に捧げた賢治と嘉内の物語なのだ
カンパネラは嘉内
ジョバンニは賢治
銀河鉄道は死者を乗せて天国へと走る列車の物語だ
カンパネラも死者なのだがジョバンニはその事を知らない
他の人達は天国の入口であるサザンクロス駅で降りていった
みんな自分の命を犠牲にして他の人の命を救った人達なのだろう
だが、何故かカンパネラは降りない
ジョバンニはカンパネラにこう語りかける
「 僕たちまた二人きりになったね。どこまでもどこまでも一緒に行こう」
やがてきれいな野原が現れてきた
するとカンパネラが突然叫ぶのです
「 ああ、この野原はなんてきれいなんだろう。あそこが本当の天上なんだ」
ぼんやりそっちを見ていましたら
二本の電信柱が丁度両方から腕を組んだやうに赤い枕木をつらねて立っていました
「カンパネラ、僕たち一緒に行こうね」
ジョバンニがこう言いながら振り返ってみましたら、カンパネラのかたちは見えずジョバンニは鉄砲玉のように立ちあがりました
そして窓の外へに体を乗り出して
力いっぱい泣きだしました
もうそこらがいっぺんに真っ暗になったように思いました
ふと気づくとジョバンニはもとの丘に戻っていました
町に行ってみると、カンパネラが川で溺れた同級生を助けて水死したことを知らされたのでした
カンパネラは嘉内だ
賢治はあの野原を二人だけの天国にしたかったのだろう
みんなの幸せとは何かという大きなテーマと、好きな人と一緒に暮らしたいという自分の幸せについても密かに語っていたのである
つづく