朝がきた
その日は目覚めた時から落ち着かなかった
自分の中でオコシのところに行くと決めているものの
果たして自分は行ってもいいのだろうか
と何度も考えた
10時過ぎに
高鳴る胸を抑えながら彼女の下宿先に電話した
「もしもしY写真館さんですか?」
「はいそうです」
「あの、そちらにKさんはいらっしゃるでしょうか?」
「はい…わたしです」
「あっオコシ。ナッツです」
「あっ」
「あのさ、今日暇かなぁ」
「うん、暇だけど」
「遊びに行ってもいい?」
「うん、いいよ」
電話を切って
やった!
って感じだった
これでとにかく今日オコシに会うことができる
でもなんか不自然かなぁと思いつつ
深く考えないようにしようと気持ちを切り替えた
いつもの地下鉄の駅で降りて彼女の下宿に向かった
手ぶらじゃいけないと思い
途中の八百屋に寄った
センベイでも買って行こうと思ったが
美味しそうなチョコエクレアがあったのでそれにした
その日僕は
オコシに何か特別なことを伝えたいと思っていた
好きだとか
僕のことをどう思っているのかとか
そんなことじゃなくて
今日までいろんな話をしてくれてありがとう
自分に心を開いて向かい合ってくれてありがとう
そんな感謝の気持ちを伝えたいと思っていた
きっとオコシの下宿を訪ねるのは
これが最後になるだろうと分かっていた
いつものように階段を登って洗面所の前に出ると
いつも点いていた電灯は消えていた
たくさんあった靴も2足だけだった
おそらく他の下宿生はもう帰省したのだろう
彼女の部屋をトントンとノックすると
「どうぞ」
という声がした
中に入ると部屋のものはずいぶん片づけられてガランとしていた
オコシはお洒落な黒っぽいチェックのシャツに白いカーディガンを羽織っていてとても可愛かった
なんとなく始めはぎこちなくて
話ながらも足が地についてないような感じだった
おみやげのエクレアを渡すととても喜んでくれて
コーヒーを入れてくれた
僕は何故かピンクのカップだった
コーヒーを飲みながらサークルの合宿の話とか決まった園の話とかをした
「オコシ、FMバラエティに手紙出したんだって」と聞くと
「ううん、他の人じゃない」
「タゴサクがラジオ聴いたって言ってたよ」
「……」
下を向いてしまったので話題を切り替えた
「大学生活を振り返ってどうだった?」
「うん、良かったよ。いろんな人達と話せて、自分の考え方も変わってきて、例えば就職できなくなったり、失恋したとしても自分を駄目にするように考えるんじゃなくて、自分にプラスになるように考えるようになったんよ」
「1年生の頃のオコシってあまり印象がないんだよね。後期に地対の部活で一緒だったけどあまり話さなかったよね。人見知りするタイプだったのかな」
「そんなことないよ。ねぇ、隼人池に一緒につりに行ったの覚えとる?」
「うん、覚えてる覚えてる。あの時面白い子だと思った。平気で魚を手でつかむし、なんかあの時結構はしゃいでいたよね。他に誰と行ったんだっけ?」
「アナグマさんとシャワシャワさんと4人だった。夏ごろだったと思う。あの時講義をサボって、あ~休んでしまった、と思った」
「そうなんだ。僕はまたサボっちゃった。まあいいやって感じだったねぇ」
「帰る時に双子のGパンをはいた可愛い子供がいたの覚えとる?」
「いやそれは忘れたなぁ」
「おったんよ。凄く可愛かった。それで1号館の前で何か用事があってナッツさんにサオを持っていってって頼んだんよ」
「ごめん、それも覚えてないわ」
「その時ナッツさんが『なんで僕が持っていくの』って言ったんよ。その時怖かった」
「え~本当にそんなこと言ったっけ」
「なんか、あ~こんなこと言ったらいかんのかなぁと思いよったの覚えとる」
「いやぁ申し訳ない、全く記憶にない」
僕が頭を掻いていると
冷蔵庫から美味しそうなイチゴを出してくれた
それからオコシは中学時代や高校時代の話をしてくれた
始めは優等生だったけど成績がどんどん落ちてノイローゼみたいになってちょっとした事でワンワン泣いていたとか
それでお母さんが「なんでも話してごらん」と言ってくれてだんだんと治っていったとか
大学時代の恋愛の話とかもした
「一年生の時にバカボンと付き合ってたんでしょ?」
「でも…いちおう付き合うってことになってたけど、そんなんじゃなかったから…いろいろと考えさせられたけど」
「話が合わなかったのかな?」
「…ん…」
そんな話をしてるうちに3時間が過ぎてしまった
下宿で一人でいるのが嫌だから5時にスヌーピーの下宿に行って泊まるという
彼女へのプレゼントとして紙ふうせんとナターシャセブンのカセットテープを渡した
「わぁ~ありがとう。どちらも好き」
そう言って喜んでくれた
4時半に二人で下宿を出た
地下鉄の駅まで二人で歩いた
うれしかった
僕らは恋人同士ではなかったけれど
僕は今だけ恋人のつもりで歩いていた
冷たい風の中にほんのりと温かい春の訪れを感じた
「あのリクエストハガキ本当はどうなの」
「……」
「出したんでしょ」
「うん。あんまりいわんといて。まさか読まれるとは思わんかったの。かなり前に出したの、12月の終わりぐらい。就職も決まらん時に」
「まさかオコシが出すとは思わんかった」
「わたしも自分が出すとは思わんかった」
「そうか」
「もっとたくさん書いたの。4枚ぐらいに、それが短くなっとって」
「でもY写真館まで読まれたでしょ」
「あれびっくりした。匿名希望にしたのに」
オコシが正直に言ってくれたことがうれしかった
もう一緒に歩けるのも最後なんだろうな
そう思うと寂しくなった
駅で別れる時に
オコシはニッコリ笑って
「今日はありがとう」
と言って手を振ってくれた
僕が
本当に言いたかった言葉は
喉に詰まったまま
最後まで出てこなかった
動き出した地下鉄の窓からオコシを追いながら
僕は心の中で呟いた
「本当にいままでありがとう。オコシのことがずっとずっと…好きでした」
やがて
オコシの姿は見えなくなってしまった。