最近なんで寺山修司の書籍をよく見かけるのか
疑問に思っていたら
そうか
彼は1983年5月4日に亡くなったんだ
つまりあと少しで没後30年になるからだ
とやっと理解した
今回は徳間書店から出ている
「寺山修司と演劇実験室天井桟敷」より
1967年(昭和42年)1月
演劇実験室 天井桟敷は寺山修司、横尾忠則、東由多加、九條栄子らによって設立された
そして
「青森県のせむし男」
「大山デブコの犯罪」
「毛皮のマリー」
「花札傳綺」
「新宿版千一夜物語」
「怪談青ひげ」
「さらば映画よ」
「昭和白虎隊外伝 安保心中新宿お七」
と次々と新作を発表していく
この中で
「青森県のせむし男」と
「毛皮のマリー」
は美輪昭宏の為に書き下ろされたものだという
「毛皮のマリー」は
美しく悲しい40歳の男娼の物語
「鏡よ、鏡、鏡さん。この世でいちばんの美人は誰かしら?」
舞台はマリーが手鏡を持ち洋式の浴槽に入浴している場面から始まる
マリーの問いに西洋カミソリを片手に横に立っている下男が
「マリーさん」
と答えると
マリーが毛深い足を突きだす
そんなコミカルなシーンから始まって
やがてマリーの一人息子である欣也が登場する
もちろん実の母子ではない
途中ふたりの関係性がマリーの哀しい身の上話によって明かされる
話が進む中
美女の亡霊としてゲイバーのママたちも出演している
寺山修司はこの演出について
「あとになってからの『すべてのにんげんは俳優である』という立論の試金石になったものであった」
と述懐している
天井桟敷の旗揚げ公演の直前に
寺山修司は別の仕事の為に2ヶ月間海外に行くことになってしまった
台本は向こうから書いて送るという
更に当時シャンソン歌手だった美輪昭宏への出演交渉を後に寺山夫人となる九條栄子に手紙で頼んだという
「あなたは丸山(美輪)昭宏さんの友達なんだから芝居に出てもらえるように交渉してほしい」
彼女はSKDにいた頃からの美輪昭宏ファンで追っかけをやっていたから顔見知りだったそうだ
それで「青森県のせむし男」の台本を読んだら醜悪な老女の役だったので
絶対に断られると思ったという
その頃、美輪昭宏は銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」に出ていたので台本を持ってしぶしぶ会いに行った
そうしたら台本を読んだ美輪が
「栄子、やるわ」
と言うから頼んだ本人が驚いた
後日なぜこんな役なのに引き受けてくれたのか聞いたところ
「その作品が上質か上質でないか、それだけが勝負なんです。寺山さんの台本を読んだらこれは面白いと思ったからです」
と答えている
その後、寺山修司に初めて会った時に
「この芝居でなにを表現したいの?」
と美輪が聞くと
寺山がもぞもぞしているので
「あなたは待っているのが嫌だから自分で打って出たいんでしょと言ったんです。どんな文豪といえども客を待たなくてはならないところは、弁柄格子の向こうで自分が売れるのを待っている女郎と同じよ。あなたは待ち続けるのが嫌で客は私が選ぶのよというふうに自分から仕掛けていきたいんでしょ。文字で書くのは飽きて人間を使って、一人一人の人生を一文字一文字、一行一行にして立体的な詩を書きたいんじゃないの。天井桟敷の『見世物の復権』というテーゼは従来の見世物という側面もあるかもしれないけれど一人一人のいろんな人生模様を見世物にしたいんでしょ。そう言ったんです。そしたら、あなたはすごい人だ、恐ろしい人だというから、そうよすごい人よと言ったの(笑)」
なるほどなぁ
成功の裏にはこんな才人と才人の出会いがあったんだ
だからこそ後世に残るようなものが生まれたんだろうな
と妙に納得してしまった
「毛皮のマリー」はその後何度も再演されて海外でも上演された
2001年には美輪昭宏自らが演出、美術、音楽を担当しその集大成ともいえる美輪版「毛皮のマリー」が上演された
う~ん
どんな演劇なんだろう
一度舞台を観てみたいものだ。