フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは
1844年ドイツの東部ザクセン州の小さな村レッケンで
牧師の両親のもとに生まれる
父親は5歳の時に他界し
一家はナウムブルクに移り住む
母と妹、祖母、亡くなった父の姉二人と女性ばかりの中で育つ
成績は幼い頃から優秀でピアノも得意だった
ただ小さい頃から集団生活が苦手で
本当にに気持ちの通じる仲間1~2人と付き合うようなタイプで
それは生涯変わらなかった
20歳にボン大学に入学し、翌年1865年にライプツィヒ大学に移り有名な学者であったリッチュル教授のもとで古典文献学を学ぶ
ニーチェが在学中に書いた論文が学内で賞を獲得し
リッチュル教授の推薦により24歳の若さで
ニーチェはスイスのバーゼル大学の古典文献学員外教授の職を得るという異例の出世をする
ところが彼が28歳の時に書いた処女作「悲劇の誕生」は学界から受け入れられず
体調も崩してしまった彼は79年に大学を退職する
彼は文筆業で身を立てたいと考えたものの
本は売れずに大学からの年金で生活を送っていた
37歳の時
スイスのジルス・マリア滞在中
シルバァプラナ湖のほとりを散歩中
「永遠回帰」の思想がニーチェに降りてくる
38歳の時
ロシア生まれの
ルー・ザロメという21歳の才女と知り合う
結婚を2度申し込むが断られる
しかし彼女はとんでもない提案をした
それは当時ニーチェの友人だったパウル・レーとの3人の共同生活をしようというのだ
パウルもまたルーに恋していたのだ
この奇妙な三角関係は実現したものの
3週間で破綻する
しかしこの時間はニーチェにとってとても幸福なことだった
39歳の時
「ツァラトゥストラ」第1部をわずか10日間で完成させる
そしてニーチェは次々とたくさんの本を書きあげる
しかし相変わらず世間の評価は低かった
45歳の時
滞在中のトリノで昏倒し精神に異常をきたす
その後母親と妹に看病されながら10年ほど過ごす
この頃からニーチェの評価が徐々に高まってゆく
1900年
55歳の時
ワイマールで死去
孤独な寂しい生涯だった
ニーチェが本当に評価されるようなったのは病気に倒れた後だった
若くして名声を得ながら生涯自分の論文が評価される事なく独身のまま死を迎えた
そんな彼が「ツァラトゥストラ」を書いたということがなんだか皮肉なようにも思える
いや
だからこそ書けたのかもしれないとも思うのだ
彼自身がルサンチマンに陥っても仕方がない運命に翻弄されたのに
それでも彼は心から「永遠回帰」を
本当に受け入れたのではないかと思う
改めて彼の生涯を振り返ってみると
切ない気持ちと同時に
「ツァラトゥストラ」
の重みを
改めて感じずにはいられないのだ。