今日は2年前にこの世を去った浅川マキの命日にあたる



「姉は野垂れ死にしてもいいと石川の街を出ていったんですが、名古屋の3日間のライブの途中に一人っきりで最期を迎えました。自分の姉ながら、あの死に方は見事です。彼女らしいです。その半年後に母が後を追いました。母はずっと姉を心配していたんです。それなりに名前は知られても、結婚もせず生涯独身。それに網膜剥離で目が見えない。彼女が東京に出てから母の詠んだ歌があります」

子と離れて住む夜
海鳴り止まず


亡くなるここ10年ほどは 浅川マキのステージは多い年で20日 少ない年はたった10日しか歌わない事があった

バックバンドへの支払いは即日
ほとんどマキの手許にお金が残らない事があった

印税収入があるとはいえ生活は厳しく貧しかった

極度の近視で木にぶつかり左目に網膜剥離を起こした
すぐに手術すれば完治する
だが公演を間近にしていた為 手術は1ヶ月後
結局 失明してしまった

さらに残された近視の右目も酷使によりほとんど見えなくなった

彼女の遺したアルバムは29枚

「よく来たね」

と低いかすれた声でステージを始めるのが常だった

長い黒髪 黒いドレス 黒いブーツ
目を悪くしてからは黒いサングラスだった


生涯独身だったが男がいない訳ではなかった
初めて
「結婚してくれ」
といわれたのは
「女房に逃げられ、襟をいつも真っ黒にしている男」だった
その後一度だけ別の男と暮らした
キャバレーのピアニストだった


結局その男はバンドと喧嘩をして
ある夜トランクひとつでアパートから出ていった


「線路は続くよ どこまでも 野をこえ 山こえ 谷こえて はるかな町まで しあわせとたたかいのない日を探すため」


1968年12月新宿の小劇場で浅川マキのライブがあった
構成・演出 寺山修司

「しあわせな日は長くない さようならだけが人生で あとはみじめな夜ばかり 朝鮮人だという事で誰にも名前を教えない
お風呂屋に貼ってあった指名手配の殺人犯の長田こと韓甲晩 巨人軍に入った静岡の名投手 新浦こと金
自分の名前に銃を向け叫びつづけた金嬉老

ああ おじさん!いくじなしのおじさん
遺書も書かなかった ひっそりと死んでしまった朝鮮人のぐうたらの一人もののおじさん」


浅川マキはその新宿の小劇場のライブで最後にこの
「朝鮮人のおじさん」と副題のついた
「ロング・グッドバイ」を歌った


歌い終わると
湧き上がる喝采が小劇場をゆるがせた
浅川マキの誕生だった


あれから43年が過ぎて浅川マキはこの世を去った

去年の金沢は大雪におおわれた

「雪の降る前 お墓に行って姉と話しました『どうしてる?向こうでも歌ってる?』って。『歌ってるよ』『お客入ってる?』『お客 赤鬼と青鬼しかいないよ』ってね」


60年代から70年代を駆け抜けた魔女と言うにふさわしい歌い手だった


それでも浅川マキは
いまでもうらぶれた小さな酒場
のステージで歌っているような気がする
低くかすれたあの声で…。