先日NHKの
「ソングス」で
エリック・クラプトンの特集を見た


クラプトン本人がインタビューに答えているのを見て驚いた

やるじゃないか
NHK



エリック・クラプトンは
1945年イギリスの小さな町リプリーに生まれた


幼い頃に両親と離別し
祖父母に引き取られた

風呂もない小さな貧しい家だった

どんな事情があったのか分からないが
8歳頃になるまで祖父母が両親だと信じて暮らしていた

子供の頃はとてもシャイで一人でいるのが好きな少年だった
学校では女の子と話したり勉強するのが苦手だったそうだ

だが音楽を聴いて
これがやりたいと思ったという


音楽は彼に希望を与えてくれた

13歳の誕生日
寂しい思いをしていた彼に
祖父母はギターをプレゼントしてくれた
彼はギターにのめり込みミュージシャンになる夢を抱くようになる

彼のギターのお手本となったのがアメリカのブルース歌手
ロバート・ジョンソンだった

ブルース好きの友達から勧められて聴いたのがきっかけだった

「その時は強烈過ぎると思った。強いアルコールみたいな感じさ。でも聴くたびにどんどん好きになっていき完全にハマってしまったよ。どの曲も実に個性的でほかの人たちのとは全く違っていた。ギターを弾きながら同時に歌うあの能力…何もかもが驚異的だったんだ。」

彼はロバート・ジョンソンを心の師としてギターの練習に明け暮れた

後に彼は
「ロバート・ジョンソンを知らない人とは話もしたくない」
というほどの入れ込みようだった


16歳でロンドンの美術学校に入学したが退学してアルバイトをしながらギターの腕を磨いた

18歳の時ギターの腕を買われてブルースロックバンド
「ザ・ヤードバーズ」
に参加しメジャーデビューを果たす

しかしヤードバーズがポップス路線に転換した為
バンドを脱退し以後様々なバンドを流れあるく


「ブルースブレイカーズ」

「クリーム」

「ブラインド・フェイス」

「デレク・アンド・ドミノス」



「クリーム」解散以降
短期間でバンドを組んでは解散させてしまうようになった


それは彼が当時麻薬中毒になってしまっていた事と関係があった

麻薬をやれば必ずメンバーと喧嘩して揉め事を起こしてしまうからだった

しかし彼は麻薬中毒から立ち直り

「461オーシャンブルーバード」
で見事なカムバックを果たす


だが彼の中の精神的な寂しさは消えず自分の逃げ場所を探し
今度はアルコール依存症になってしまう

ジョージ・ハリスンの妻パティと結婚したものの
離婚してしまったのもこの頃だった


そんな彼に41歳の時
イタリア人女性との間に息子コナーが誕生する

息子を愛する事が自分にとって最高の救いであることに気づき
アルコール依存症を治す為に自ら更生施設に入り克服する

しかしコナーが4歳の時
マンションから転落死するという悲劇が起こってしまう

自分を責め続ける日々の中で天国に旅立ったコナーに捧げる曲を作った

それが
「ティアーズ・イン・ヘブン」
だった


この曲を収めたアルバム「アンプラグド」はグラミー賞を獲得しクラプトンの地位を決定づけた


その後 3人の娘にも恵まれて
彼の作る音楽には家族への愛を歌った楽しげな雰囲気が漂うようになった



クラプトンは長い間自分のことを
「ジャーニーマン」
と呼んでいた

それは幼い頃に両親から愛されることなく育ってきた寂しさをいつまでも断ち切る事のできない自分
住む場所 帰る居場所がないという孤独感を表す自嘲的な呼び名だったのだろう


だが彼はやっと帰る家を持つ男としてギターを引き続け
ブルースを歌い続けていこうとしている



そんな彼がいま来日している


きっと素晴らしいステージを見せてくれるだろう。