男のような低く太い声で歌うシャンソン歌手
そして
生涯で226人もの画家に肖像画を描かれたモデル
それがシュジー・ソリドールだった
彼女は生涯 シャンソンを愛し 海を愛し続けた
それは彼女が海賊の娘だった事と無縁ではないのかもしれない
1900年フランス西部の港町「サン・マロ」で彼女は生まれた
本名はシュザンヌ・ロシェ
この町にはコロセールと呼ばれる国家から認可された海賊がいた
普段は普通の仕事をしながらいざ戦争となると船に乗り海賊として敵の船と戦ったのだ
母親は海賊の大物だったシュークーフ家の使用人だった
シュジーはその家長との間に出来た私生児だった
シュークーフ家の子供として認められるはずもなく
貧しい母子家庭で育った彼女に世間の風は冷たかった
彼女はいつもいじめられ
体も洋服もボロボロになって帰宅する日々だった
この町で彼女の居場所はなかった
第一次世界大戦が始まり17歳で運転免許をとり軍隊で働いた
当時免許を持った女は珍しく
彼女は初めて自分を受け入れてくれる世界を知ったのだった
やがて戦争が終わり
自分の居場所を見つける為
モデルを目指してパリに旅立った
パリに出た彼女は一軒の骨董屋に勤めた
そこの店主はイボンヌという女主人だった
彼女はパリでは有名な同性愛者で シュジーを一目見て気に入ったのだった
イボンヌは自分の好みにシュジーを変えていった
シュジーにとってイボンヌとの出会いは幸運だった
イボンヌはとても教養のある女性で店には画家や文化人がよく訪れた
シュジーをいつも眺めていたいと思ったイボンヌは彼女の肖像画を画家に依頼した
画家の名はジャンーガブリエル・ドメルグと言った
赤い上着を着たシュジー
これがシュジー・ソルドール初めての肖像画となった
時は「パリ狂乱の時代」と呼ばれ世界中の芸術家が成功を夢見てパリに集まっていた
カフェでは毎晩多くの芸術家が訪れ交流していた
その頃 藤田嗣治やコクトーとも知り合いになった
イボンヌによって磨かれたシュジーは多くの画家達の垂涎の的となった
画家達が競って彼女を描きたがったのは単に彼女が美しかったからではない
彼女の個性がとても強力で注目される事が何より好きだったからかもしれない
肖像画とは
単に人物を描く事ではなく、その人の個性や内面を捉え画家の解釈を表現するものだからだ
イボンヌと出会って10年が過ぎた
1929年に始まった世界大恐慌によってパリの美術市場は大暴落し多くの画家はパリを離れた
その頃イボンヌとの愛も終結を迎えた
それはシュジーが初めて男性との恋愛を経験したからだった
イボンヌと別れた彼女はパリでキャバレーを開き
自らがシャンソン歌手として舞台に立った
客の多くは画家や芸術家達だった
彼女は男のような声でシャンソンを歌い詩を朗読した
コクトーが彼女の為に書いた詩もよく朗読された
またモデルとしても彼女は活躍した
彼女がモデルになる条件は一つだけだった
「できた絵は私の店に飾る事」
彼女はシャンソン歌手としても何枚もレコードを出し
映画にも出演した
しかし第二次世界大戦が始まりパリはドイツ軍の手に落ちた
それでも彼女はキャバレーを続けた
どんな時でも彼女は変わらなかった
晩年1960年 彼女は南フランスの北地中海に面した町カーニュ・シュルメールに移り住んだ
ここでもキャバレーを開きシャンソンを歌い詩を朗読した
遠くから多くの有名人が彼女を訪ねてやってきた
エディット・ピアフもその中の一人だった
彼女はいつも変わらなかった
1983年 83歳でその生涯を終えた
墓石にはこう記されている
「誰よりも海をうまく歌った女」
海賊の娘は
海の見える町の墓地で静かに眠っている。


