宮沢賢治は
日本を代表する優れた童話作家であり詩人でもあった


その多くの作品は
賢治が教師として赴任した岩手県花巻の農学校時代に作られている

賢治が教師として過ごした期間は4年4ヶ月であった



賢治の作品は
読めば読むほど奥の深い世界観が広がる不思議な童話であり
そこに描かれているイメージは子供の為のものという範疇を遥かに超えた心象世界だと思う


しかし
魅力的な話でありながら全てを理解できない不思議な謎の多い作品
それが自分の中の賢治作品だった


その謎解きは賢治の教師時代の足跡を辿る事によって
少しずつ真実に近づく事ができる


賢治は農業教師として
作物を教え
土壌を教え
肥料を教え
さらに
化学、代数、英語も教えた
日曜も祭日も学校に出て
他の職員の宿直まで引き受けて
夜中に読書をしたり詩や童話を書いた

授業が終わると田野を歩き
感動した事や詩的心象をその場で手帳に書きとめた


茶目っ気があり ハイカラ好きで
学生とも外を歩きながら話すのが好きだった

賢治の授業は
温かく 楽しく 面白かった


学生同士が議論していると
「相手を降参させようとするのではなく、大事なのはお互いの意見を知る事だ」と説いた

生徒の家庭はほとんどが農家であり
より豊かな質の良い作物ができるようにいつも考えていた

土地改良の為
肥料の研究にも努力し
仕事に追われるだけではいけないと音楽演奏や演劇を生徒に教えた

学校の実習農場は北上川のほとりにあり
賢治は実習の後によく生徒を川で泳がせた
そこの岸は凝灰質の泥岩でイギリスのドーバーの海岸に似ているからと
イギリス海岸と名付けた


教室の勉強だけでなく山登りや温泉に生徒を連れていく事もあり
彼は生徒から強く慕われた


そんな充実した教師生活のある日

賢治の最大の理解者であり最愛の妹であるトシが病の床につく


トシは肺結核の為
闘病生活の末24歳でこの世を去った
大正11年11月27日
みぞれの降る寒い夜だった



「けふのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)


青いじゅん菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたくしはまがったてっぱうだまのように
このくらいみぞれのなかに飛びだした

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)


蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょしずんでくる」




「春と修羅」より


※()は「みぞれをとってきてください」の意味





死の間際
トシは賢治にみぞれを取ってきて欲しいと頼んだ
賢治は茶碗にみぞれと松の枝を入れてトシに渡し
トシはみぞれを口に入れて


この世を去った



賢治は翌年の夏
汽車に乗り樺太まで旅をする

生徒の就職活動を兼ねた心の旅だった


「こんなやみよの
のはらのなかをゆくときは
客車のまどは
みんな水族館の窓になる」



13日にわたる旅路で
賢治はトシの幻影を探し求めた

この時の心象世界をまとめたものが
「銀河鉄道の夜」
になった



賢治の教師生活は理想の教師像のようだったが

彼は自分の立場を宙ぶらりんだと感じ
教師を辞めて農業で生きる事を決意する

自ら農業をするかたわら
土地改良の相談に無料でのり
農業の向上につとめた


7年後
昭和8年9月21日
37歳の若さで他界した