2012.1.30

川端康成・東山魁夷コレクション展が新潟市美術館で開催されてるので
出かけた。
さすが、川端康成氏のコレクションで、素晴らしいものばかりでした。
また、東山」魁夷画伯の作品を多く鑑賞でき、行ってよかったと思う。
両氏のこころ温まる親交にも、こころ洗われる。
画伯の色紙の言葉に感銘を受けた。
私は生かされている
野の草と同じである
路傍の小石と同じである
生かされているという宿命の中で
せいいっぱい生きたいと思っている
道を究めた画伯の言葉であるがゆえに重い。
わたしも、もっともっと頑張らなければという思であった。
宿命という言葉は、若い頃は、拒絶していた言葉だ。
諦めの響きが嫌だったのだと思う。
しかし、今はわかる気がしている
まさに、上記の画伯の言葉そのものなのだろう。
太宰治
愚生が20才代に好んでいた作家であった。
このところ、何十年もご無沙汰だった。
その太宰が、川端氏に送った手紙の一文に興味深く思ったので
書きとめて来た。芥川賞の時のお礼文だった。
厳繍(繍は、糸偏がない)の御手翁(車偏に翁?)に接し
わが一片の誠実今余分に報いられた心地にて
鬼千匹の世の中には、佛千体もおはすのだと
今宵しみじみ教えられました。
鬼千匹の世に、千体の佛さまがおはすとの表現が、とても好きだ。

川端康成・東山魁夷コレクション展が新潟市美術館で開催されてるので
出かけた。
さすが、川端康成氏のコレクションで、素晴らしいものばかりでした。
また、東山」魁夷画伯の作品を多く鑑賞でき、行ってよかったと思う。
両氏のこころ温まる親交にも、こころ洗われる。
画伯の色紙の言葉に感銘を受けた。
私は生かされている
野の草と同じである
路傍の小石と同じである
生かされているという宿命の中で
せいいっぱい生きたいと思っている
道を究めた画伯の言葉であるがゆえに重い。
わたしも、もっともっと頑張らなければという思であった。
宿命という言葉は、若い頃は、拒絶していた言葉だ。
諦めの響きが嫌だったのだと思う。
しかし、今はわかる気がしている
まさに、上記の画伯の言葉そのものなのだろう。
太宰治
愚生が20才代に好んでいた作家であった。
このところ、何十年もご無沙汰だった。
その太宰が、川端氏に送った手紙の一文に興味深く思ったので
書きとめて来た。芥川賞の時のお礼文だった。
厳繍(繍は、糸偏がない)の御手翁(車偏に翁?)に接し
わが一片の誠実今余分に報いられた心地にて
鬼千匹の世の中には、佛千体もおはすのだと
今宵しみじみ教えられました。
鬼千匹の世に、千体の佛さまがおはすとの表現が、とても好きだ。