チャイナエアーの日本人乗務員 |   サテアン

  サテアン

   ~Welcome to my サテアン~




[2013.5.16]




この度、私がロッブリーに初めて行った3年半前からいつも遊んでくれている


一組のカップルが結婚することとなり、急遽、再びタイへ飛ぶことになった。


ちなみに、タイの相方は仕事のため、今回の訪タイは現役無職の私一人。




フライトは、台湾経由の 「CHINA AIRLINES(中華航空)」 で往復4万円!



  サテアン



乗り継ぎも値段の割りにスムーズな4時間以内で、なかなか悪くない機内食は



  サテアン


"HI・RO・SHI・MA・YA・KI"



映画嫌いな私でも満足できるほど充実した機内映画に、日本路線でない便でも日


本語充実の機内。しいて問題点をあげるとすれば、どの便でも天候関係なく機体


の揺れと着地の荒さが半端ないことぐらい。94年に名古屋空港で起きた 「中華航


空機墜落事故」 がすっかり納得できるフライトだ・・・。そんな快適だか不快だかわ


からないチャイナエアーの中で、なんともこっけいな “日本人らしさ” というものに


出会った。




名古屋から経由地台北へ向かう機内には、何人かの日本人クルーも乗務してい


た。幾度となく大揺れが繰り返されるフライト。その度にシートベルト着用とトイレを


控えるようにとのアナウンスが流れる。



ある時、揺れていた機体もしばらく安定していたので、私はトイレへ行こうかと思っ


た。しかし、シートベルト着用義務解除のアナウンスも流れたわけでなく、乗務員


が歩いている姿も見かけていない。ただ、機体はここしばらく安定しているようだ。


とりあえず行くだけ行ってみようか・・・。と思ったとき、他に2人の客がトイレへ向


かって歩いていくのが見えた。そしてその2人は、乗務員に止められることもなく


トイレに入った。


「あ、行っていいのか!」


私も席を立ってトイレへ向かう。しかしトイレの前まで来たとき、そこでシートベルト


をして座っていた一人の日本人乗務員が私に言った。



「今は揺れが激しいですので、トイレのご使用はお控えください」



この乗務員がこう言ったのは全く理解できることだ。そして私にそう言ったことは、


乗務員として全く正しいことを言ったと思う。安定期に入ったと思ったとしても、また


突然揺れが始まるかもしれない。そもそも私は、機長の判断ではないシロートの


自己判断で席を立った。私より先にトイレへ行った2人にも同じことを言わなかった


のは間違っているにしても、ただ私とその乗務員の間だけでことを見れば、この乗


務員の発言は何一つ間違ったことは言っていない。だから私も、緊急でトイレに行


きたかったわけでもないし、「はい、わかりました。」 と言って席へ戻ることもでき


た。しかし、外国で生き抜くためにいつの間にか自分に染み付いていた癖、


『言われたことには、とりあえず "No" と答える』


『とりあえず言ってみたもん勝ち』


というひねくれた習慣は、こういうところでも反射的に出てしまう。



「でも2人は入っとるし、しかも今、安定してるやん!」



こうは言ったものの、私がこの彼女に期待した答えは毅然とした態度、つまりそれ


でも "No" を返してくることだった。次に "No" と言われれば、私も素直に席へ戻


るはずだった。しかし彼女がすぐに返してきた言葉は全く意外なもの、というより私


にとっては長らく聞いていなかった表現で、そういえば日本にいたときにはそんな


発想もよく見たもんだ・・・と思い出させる、実に日本人らしい答えを返してきた。




「じゃあ私は責任持てませんけど、どうぞ」




はい、ここでおかしなポイントが2つ!



『そうは言っても、万が一私に何かあった場合、結果的にトイレへ行くことを許可し


 た以上結局責任を取らされるのはあなた(航空会社側)ではないのか?』



そしてもう一つ、これが最も私にとって生理的に受け付けられない人の生き様・・・



『結局反論されていとも簡単に考えを曲げるぐらいだったら、“初めから言うな!”』



私はよく、感情的になって他人をとがめて置きながら、後になって冷静さを取り戻し


て謝ってくるような人に必ず言う。



『なら、初めから言うな!』



もし自分の思考をいつも活用していて自分というものを持っているなら、または持


つよう日ごろから訓練しているなら、どんな場面においても感情的になって発言す


ることはなく、例証と論証を持って常に冷静に相手と向き合うことができる。そして


自身の "Yes"は"Yes" "No"は"No" であって、それが相手の立場や圧力など、


論点以外の要素だけで自分の意志に反してねじ曲げられてしまうようなことは決し


てない。


つまりこの乗務員には、「機内マニュアルを守る」 という “自分としての考え” はな


かったのか?もしくは 「『マニュアルはあくまでマニュアル』 であって、自分の経験


値も踏まえて臨機応変に対応する」 という “自分自身の考え” でもあったのか?



いや、そのどちらでもない!



彼女はただ単に、機内マニュアルを “守らされていた” だけだ。初めはマニュアル


に従ってマニュアル通りの対応で言ってみたものの、反論されたので自己判断で


マニュアルを破ろうとした。けれどもその自己判断の責任は取りたくないので、責


任転換のために 「私は責任持てませんけど」 と付け加えた。(無論、「乗務員の


指示に従わない人には 『責任負いかねます』 と事前に伝えた上で許可してもよ


い」 とでもマニュアルにあったのなら何も問題ないが)



彼女は “自分” というものがなかった。なぜ 「席に戻るように」 と言ったのなら、何


を言われても最後まで 「席に戻るように」 と言えなかったのか?明らかにこの行


動に関して間違っていたのは私であるのに、なぜもっと堂々とできなかったのか?


彼女にとって物事の正誤というのは、相手の立場によって簡単に変えられてしまう


ものなのか?「上司・先輩・お客様」 などなど、“人と人” ではなく、“立場と立場”


という分厚い二重フィルターを通してでしか人を見られない人々・・・。


この国で 『1+1 が 3』 になってしまうのも夢物語ではなさそうだ。