数日前に『東京オリンピック(激動の記録)』という本が新聞広告にあった。
また57年前の復刻版の本かなにかと思いましたが、
つい先日終わった東京オリンピック2020をまとめて振り返ったものでした。
自分も球技の一部(卓球やバレーボールなど)を断片的にTVで観たはずなのに
それはまさしく東京オリンピック2020にもかかわらず、自分には最新のオリンピックを観た、
という自覚がないことに気付かされました。
結果的にオリンピックは中止にすればよかったといま思います。
先日綴った『集団ストーカー犯罪とカネ』。
集団ストーカー犯罪とカネ
そのカラクリを多くの日本人、たとえ知識階級にいても知らない人は案外多いのではないのでしょうか。
(国会議員を除く)
日本経済が逼迫すればするほど集団ストーカー犯罪は増え、
被害の内容もひどくなり、被害者数も増加するカラクリです。
誰かの不幸と引き換えに成り立つ国の予算、
日本の経済の仕組みとはいったいなんなのでしょう。
国の予算には一般会計と特別会計がありますが
集団ストーカー犯罪に使われるお金のでどころは
特別会計からです。
福祉(老齢・子ども・障害者そして生活困窮者)に関する
“臨時的な”予算のでどころはなかなか表にでにくく、
その分うやむやになりやすく、使途が明らかにしなくても済む特別会計からです。
コロナの自宅療養待機者が全国で10万人に達しようとするいま、
ここまでして「学校連携パラリンック」を実践させようとする意図は、
この福祉にまわすおカネ、すなわち集団ストーカー犯罪に使うおカネを獲得しなければ
国の経済もまた回らなくなるからです。
国や都は子どもたちの身の上の安全を確保する保障はないのに、子どもの観戦対応(感染対応ではない)
にあれやこれや苦心しているのです。
しかし、苦心しているものが露呈すればするほど矛盾に満ち、私たちの不満や疑念がわきます。
現場は疲弊し、大わらわです。
なにより子どもたちが混乱しています。
修学旅行などより、パラリンピック観戦が優先される理由は健全ではありません。
確かにパラリンピックを観戦した子どもたちは、障害者による迫真の競技に感動するかもしれません。
しかし、障害者全員がパラリンピックに参加できるとは限りません。
とりあえず大きな障害が見当たらない私たちでさえ、簡単にオリンピックに出場できないことと同じです。
障害者を美化し、美談にし、利用するのはやめてほしい。
障害者にたいする理解を深めるには、もっと重篤な障害者が身近な周囲に多数存在することを知ることがとても大切です。
当の本人はもとより、またご家族にもなんの落ち度や罪もなく、
それでも世の中には一定数の障害者が存在することを私たちは知る必要があります。
その人たちが差別や偏見を恐れ、隠れて息をひそめる様に生きていることをまず知り、
障害者と同じ土俵のうえで生活できるよう配慮していかない限り集団ストーカー犯罪はなくなりませんし、
なにより障害者やマイノリティに属する人たちの理解は深まりません。
面倒なこと、生産性に寄与しないことを尊重しないこと、少数派であるマイノリティなどを排除していく考えはよしませんか。
こういった日本人の効率を優先する姿勢がいまも外国人技能実習生の制度に反映されていると思います。
面倒な仕事、生産性に寄与しないことを尊重しない仕事、単調な仕事、必要な仕事であるはずなのに低賃金な仕事をアジア系の外国人に託す、というより
押し付け、丸投げするようなことをもうやめませんか。
これらを続けていくかぎり、日本は本当の意味で先進国にはなりえない、いじめ(ハラスメント)を肯定している野蛮な国であると思っています。