一か月前くらいに読売新聞の「安心の設計」で終活を特集していました。

モデルは自分と同年齢だったのが思いの外、ショックでしたけれど常日頃自分の頭の隅にあったことは『終活』。
ちょうど1年くらい前でしょうか『そろそろ終活を考えなければーー』。



人生100年時代といいいますが、50歳時の体力、知力その他の機能能力が維持されて100歳を生きるのならばまだいいですがそんな虫のいい話はありません。


前々回のブログで池袋で自家用車を暴走し、悲惨な交通事故を起こした老人のことを綴りました。
誰の責任か。
そして自分の地域で都合の悪いことを言われて、殴る真似をする老人をみて
つくづく年を取ることが嫌になりました。


そして長生きすることは、果たして幸せなことなのかあらためて考えています。


往生際のいい老人になることはなんて難しいことか、痛感しました。


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自分が小学生の頃は、本当にいい時代を過ごすことができました。
野山を駆け回って日が暮れるまで遊び呆けたあの頃。

昭和40年代、50年代、60年代前後の時代の「いい空気」というのはお金では決して買えません。

お金持ちがいま、1億でも1兆円だしても決して叶わない時代の「いい空気」。

それは戦争を体験した大人が「子どもは宝」と身を挺して私たち子どもを守ってきてくれたからだとしみじみ実感します。

ただ当時の大人たちは一つ、大切なことを忘れていました。
私たち子どもたちを守ることに必死で、私たちが大人になることを想像する余裕がなかったのかもしれません。

「あなたたちが大人になったら自分ら大人がしてきたように、若い世代や子どもたちを全力で守るのだ」という「バトンタッチの意味とバトンタッチの必要」を説くのを忘れてしまったのだと思います。




思春期にすでに集団ストーカー犯罪に遭っていた自分でも、時代の「いい空気」にずいぶん救われていました。

「困難を克服するよう努力すればほとんどの願いは叶う」と本気で思っていた学生時代。








いまは違います。

たとえ集団ストーカー犯罪に遭っていなくても生きていくのに、若ければ若いほど生きることが困難な時代です。
文字通り命がけで生き抜くことを強いられるのが若い世代です。


50歳を過ぎたならば、勇気をもって一歩退き、若い人に道を譲るべきではないでしょうか。少なくとも自分はそう考え、そのための「余生」をこれから生きる覚悟でいます。『死』を見つめて生きることは、生きている意味や価値をじっくり考えることでもあると思います。(ブログを綴ることをやめるわけではありません)









 

 

 

 

やはり、被害者である方の発信するSNSを見て、このフォーラムを知りました。

(自分は関係者ではありません)

 

中身は大変濃く、テクノロジー犯罪と組織的な嫌がらせがわかりやすい言葉と豊富な資料で

説明されています。理論的で科学的でもあります。

18歳のときから盗聴・盗撮を四六時中されて、30代になってもそれが止まず、自死した女性の話もでてきます。

 

 

 

 

 

 

ぜひ、集団ストーカー犯罪に遭っていない方もご覧ください。

納得できることも多々あると思います。いまの日本と世界の情勢がより深くわかってくると思います。

 

 

 

少しでも多くの方にテクノロジー犯罪と組織的な嫌がらせを知っていただきたく思います。