いまこそ非常緊急事態です。
若者、女性、そして失業者による自殺者が急増しています。
そのことに関して政府は具体的に対策をまったく練っていない。
日本のすでに機能不全に陥っている社会保険制度や
金にものをいわせる権力の濫用
そして学校、教育などに費やす予算配分やその場しのぎの入試改革などの
制度の不健全さを
いくらSNSで発信しても
もう、限界なのではないのか、と思う。
もっとゆっくり
考えたことを一つずつブログに綴ろうと思っていましたが
時間に限りはあります。
これ以上無辜な人間の犠牲者を出してはならない。
前のブログで戦争責任について綴りました。
ポツダム宣言と戦争責任
先の戦争で真の責任者は裕仁(昭和)天皇だと自分は思っていますが
そのことに関してなぜか政治家も、
一市民も、
誰もが黙っています。
GHQさえ裕仁(昭和)天皇の立場を利用し戦争直後の日本を統治したのです。
一部の知識人、
とくに歴史家などが指摘しているのが見受けられるだけです。
天皇自ら戦争責任を「したたか」に逸らした史実があるならば誰が責任をとるのだろう。
引用します。
裕仁はしたたかで適応力のある人物であり、天の助け--もっと具体的にいえばマッカーサーの助け--によって生き残り、満ち足りた人生を送った。他方、裕仁をとりまいた忠良なる臣下たちは、みな責任を問われ、公職から追放され、戦争犯罪で訴追され、さらには処刑された者さえいた。(『敗北を抱きしめて 下巻p3』)
安倍政権時代、比較的新しい政党が
さかんに「打倒、安倍!」と連呼していましたが
天皇を敬い、「英霊」を敬い、日本を守るために自衛隊の存在、派遣を憲法第9条に明記し、
日本人の根拠のない優等性を説く等々
安倍政権を批判しながらも根っこはまったく同じであると思う。
日本人の自虐史観を見直せといいます。
南京大虐殺はデマであり、
日本兵はかの地でも「品行方正」に振る舞ったと主張するがあなたがたには想像力というものがないのだろうか。
極悪で非人道的な劣悪な環境のもとに
ただ上長、年上とというだけで
高圧的で暴力的な軍人にしいたげられた一兵卒が
どれだけのストレスや不満、鬱屈を抱えていたか。
憎むべき敵は、アメリカ兵でもなく、
捕虜でもなく、ましてや天皇でもなく、
上官である日本兵そのものを
死ぬほど憎んだと想像できないのか。
そのうっぷんをはらすために
戦勝国であるがための「正当性」を掲げ
弱い立場である、
現地植民地の女性を含む人々に対して
残虐きわまりない行為を振るまったのは、
むしろ人間の持つ本性ともいうべきものである。
生命が脅かされ
明日、いや、この瞬間に死ぬかもしれない
危機的な状況に直面しつつ、
紳士的に振るまえる民族が
どこにいよう。
あまりにも人間に対する洞察や想像力が欠如していると思う。
【学生時代のフィリピン旅行について】
今回のコロナ騒動で
岩手県では罹患者がしばらく出ず、
他県にいる岩手出身者は家族に
『かえってくるな』と厳命されたという。
これこそ日本人の本質ではないか。
他県では「第一号罹患者」の自殺者が続出し、家族ぐるみの自殺もありました。
日本では法律より、
もしかしたら憲法よりも縛りの強い
「世間体」という名の、
「世間の目」というものすごく強力な規則、罰則が存在し、
目に見えませんが人を圧する強力な「力・勢力」がある。
それによって殺されたに等しいのではないか。
狭い国土、
山間で区切られた土地土地、
協力して行わなければ成り立たない農作業など
海で他国と閉ざされた
日本の風土というのは「皆と同じであるという同調性」を求められてきました。
このような風土のなかでは、
とにかくよくも悪くも抜きんでてはならないのです。
それはもう掟であり、
明文化された法律よりも強力な締め付けがある。
日本人にとって場の空気、
その場の「気」というのはなによりも強力な支配力がある。
あれほど戦後に人権意識が叫ばれたのにもかかわらずです。
たとえば目が見えない、
耳が不自由などでも「異端」であり
知的障害をもてば「さらに異端」であり、
精神障害などをもてば人間としての扱いをされない場合さえあります。
明らかに不具だとわかった我が子を
間引きしたり、そっと死に追いやる風土があります。
出生前診断もその名残りでしょう。
日本人は他人に親切ですが優しくはありません。
おかしいと思いませんか。
日本人としてもつ特徴、
責任を回避してしまう性質、
ほとんどDNAと化した権威主義に陥る傾向、
他人の不幸せや生きづらさを見て見ぬふり、
など日本人として見直すべき短所に誰も言及しない。
これらを正しく認識しない限り、民主主義は根付きません。
【野蛮な日本人】
集団ストーカー犯罪の放置というか黙殺をふくめ
この国の悪政ぶりは
NPOどころか自公以外の野党が一緒くたに結束して
国と闘ったとしても状況はなかなか変わりません。
【ウォーカーさんのSOS】
「自助・公助・共助」のスローガンは
国がだすものでなく、せいぜい地域社会の自治会レベルの話です。
とにかくこれ以上犠牲者を出さないためには
日本という国が名目上なくなってしまっても
日本人というカテゴリーがなくなってしまっても
この瞬間にも死に向かおうとする
たくさんの命を無駄にするよりも
ずっといいのではないか。
共産主義だか
ベーシックインカムだか
それでも等しく生きる権利を、生きることを放棄しないことを、
持ち続けることができるのならば
そのほうがいいのではないでしょうか。
少子化でも仕方ありません。
経済的負担をはじめ
親子ともども生きづらさをたくさん抱え
日夜いじめに戦々恐々とする人生を送ることがさだめのようなこれからの世の中、
生まれてこなければよかったと
みずから「死」を選択するくらいならぱ
いっそ一度
日本人は
日本という国は
滅びてしまったほうがよいのではないでしょうか。