……大学を、高級職業安定所とは夢にも思わず、
神戸から上京してきた私は、非常にめんくらいました。
新入生歓迎会で某教授は
「今はそんなにハツラツとしているけれど、
しっかり腰をすえてかからないと、
四年になって青くなるぞ。
就職先が卒業間際まで決められなかったりして」
と忠告しました。……
 
 


 
「思想研究会に入るとブラックリストにのせられるという噂よ」と、
ビラの前に立ちどまった私に、
親切に教えてくれた友もいます。……
 
 
あの時代(第二次世界大戦中)が、
どんなに言論統制、思想統制が厳しいものであったか、
よくわかります。
反戦の意志を示せるような、
そんな風潮じゃとてもなかった、
『どうしようもなかった』のだ、
というご意見もうなずけます。
しかし、戦後、反戦の決意と平和への意志を
次の世代へ伝えることはできたでしょう。
 
 
おとなしく黙ってばかりいたために
戦争を体験してしまったあなた方は、
あの戦争から何を学びとり、
どう子供たちに伝えようとしたのか、
あなたたちが果たさねばならない時代責任をどうお考えになっているのか、
そこのところが私にはよくわからないのです。……
 
その時の社会の要請に応えることも必要でしょうが、
未来あるべき社会のために、どう応えようとして子供を育ててきたのか、
教えていただきたいのです。
再び戦争を起こし、あのときは『どうしようもなかった』のだと、
私たちの子供に言わなくてすむためにーー
 

 
 (暮しの手帖編『戦争中の暮しの記録』 P260
なぜ今あなたたちは黙っているのか)
 
 
 
 
 
 
 
 
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ご両親をしらずに育った若者が
都会にでて大学に進学し世間を知り
世の中の大人たちの言動に驚いたこと、
疑問を率直に綴っています。
 
 
 
この冊子が初めて刊行されたのは昭和44年、
いまから50年以上前のことです。
この方がご健在ならばことし87歳です。
 
 
 
 
今の若い学生の方も大人である私たちに
同じ疑問を抱いているのではないか、と自分は思っています。
 
 
 
50年前と今、
なにがどう変わったのでしょう。

今、私たちはなにをしなければ
ならないのでしょう。