梅雨のいまからこんな大雨では
先が思いやられます。
台風のときにも被害をなるべく少なくするよう、
身の危険を感じたら
自治体や市町村の勧告をまたずに
避難しましょう。
七月といえばかつてはお中元シーズン真っただなかでした。
百貨店はかきいれどきで
お中元シーズンにはかならず臨時に
パートやアルバイトを募集していたのですが(自分もした)
お中元の慣習そのものがすたれてきました。
難しいところです。
河出書房新社
青山透子著『日航123便 墜落の新事実
目撃証言から真相に迫る』は
衝撃的な内容でした。
自分の思ったことをそのまま綴るので
ネタバレになってしまうかもしれない。
この本は感想やレビューを読むより
ぜひ手に取って読んでいただきたいです。
購入しても、図書館で借りても。
日本人ならば圧倒的な感動をおぼえるはずです。
1985(昭和60)年8月12日
520人の死者をだしたジャンボジェット機(ボーイング747型機)墜落事件です。
あれから35年めの夏です。
ズバリ「123便が墜落したのは事故が原因でなく事件だった」という事実です。
昨年中曽根元首相がなくなった直後、
ネットその他のあちこちで
『あの事件、墓場まで持ってったな』という意見を耳にし、
関係書にいきつき
本書を手にした訳です。
「ロンとヤス」で表向きは友好的な1980年代の日米関係。
集スト被害に遭い、
これだけ周知がすすみおおやけになっても
法整備がされない理由のひとつは
戦後、自民党がおもに築いてきた
日米関係が主軸になっていることに目を向けるようになったからです。
(敗戦した日本はアメリカとなんらかの取引があったのではないかという疑問がぬぐいきれない)
集ストのテクノロジー被害は
端的にいって
米軍の協力なしではできない、というより
米軍が主導して
日本人に行っていることに気づいたからです。
事故機のボイスレコーダーはいまだ表にだせない事実。
墜落直後の現場を知った村人の連絡をいっさい無視した報道関係者や政府。
そして事件をみて
澄んだ目で素直に綴られた
地元群馬県の小学生による文集『小さな目は見た』の圧倒的な証言のかずかず。
「明かりをつけながら飛んでいる」
「ライトをつけて飛んでいる」
「いっぱい飛んでいる」という記述が多いという。
乗客全員の死を無駄にしないために
諸先輩の無念さをはらすために
そしてのこされた遺族のかたがたに
『真実を知ってもらうために』
したためたられた本書。
現に吉備素子さんはいまも、事件の真相を究明するため、法廷に立っている。
ご主人は事故に遭われた塩野義製薬次長の吉備雅男さん(当時45歳)である。
吉備さんご自身は当時の首相中曽根氏に直訴を試みる方である。(p82)
事故当日、自分は毎週楽しみにしていた
クイズ番組「なるほどザ・ワールド」を観ていました。
番組中、坂本九さんが発言している際に
『いま現在坂本九さんが乗っている日航ジャンボ機123便が行方不明』
というテロップが流れました。
すぐに事態が飲みこめなかったけれどイヤな予感がしたことをはっきり覚えています。
久米宏さんが司会の「ニュースステーション」では520人分の靴をならべたとか。
大学生でしたが
FOCUS(フォーカス)という写真雑誌には
いまでいう【閲覧注意】の写真がたくさん掲載され
この墜落事故で母親の胎内にいた胎児がショックのため無惨な形でほうりだされた写真も目にし息をのんだ。
それにしても乗客、職員全員の墜落直前の恐怖は想像を絶する。
命に軽重はない。
東日本大震災を風化させてはいけないと
被害にあわれたかたは思うでしょう。
それと同じに
墜落事件、
先の戦争の事実やむごさを、
風化させてはならないと思うのです。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2019/0722.html
うまくリンクが貼れませんでした。
ご参考にしてください。
tenku123.hateblo.jp/
青山透子さんのブログ
戦後40年目のできごと(戦争はまだ終わっていない)
※今年は終戦75年目、コロナウィルス蔓延、
東京オリンピック中止、大災害発生と集スト問題だけでなく
たくさんの問題を日本は抱えていると実感します。
考えたいことがあるので周知は続けますが
しばらくアメブロを更新しないかもしれません。( ^^) _旦~~
今回の記事にいいね!してくださった方に
とても感謝してます。
墜落直後の傷痕がなまなましい写真がカバー。
