集団ストーカーについて①~⑤まで  

いろいろ綴りました。
 
 
 いまはSNSで自由に発信できるから
 ずいぶん集団ストーカーという現実を
 知ってもらえている感触があります。
 
 
 
アメブロでも
これだけたくさんの被害者が登録し、
 日々のできごとを赤裸々に綴っている。
 
 
 
『集スト』というカテゴリーさえある。
 
 
これは、あとは拡散する力とともに 
被害っていったいどのくらいなのか、 
どんな「しつこさ」なのか
伝えていくことでしょうか。
 
 
 
 四年前に地域や職場(大学)の卑劣で極悪な
いじめから、
 ネットで検索しまくりヒットしたのが 
「集団ストーカー」という言葉と事実でした。 
 
 
 
すぐにお世話になっている弁護士に相談しました。
 
これもご丁寧に印刷して事務所に送付しました。
 
 
 
すると対策として
「睨んだら睨み返せ」
「気合いを入れて臨めば相手はひるむぞ」
とアドバイスを受けました。
 
 
 
 
実際にはそれはほとんど空しい結果に終わるし、
多勢に無勢で被害者は男女に関係なく
いちいち睨みかえしていたらきりがない。 
 
 
集団ストーカーという言葉とだいたいの意味を知っている知人も 
 
「睨まれたら仕返しして睨めばいいじゃない? 
やり返せばいいじゃないの?」
なんていう。
 
 
 
このしつこさはなかなかわかってもらえません。 
こみいった仕組みはわかってもらえません。
 
 
 
 
 【いろんな地に住んでみて思うこと。関西地域に思うこと】
 
 
 
 
単に過去を懐かしんで 
昔住んでいた場所の話や京都での 
思い出話を綴っていたわけではありません。
 
 
 
 集団ストーカーという犯罪は 
「地域性がある」 
「地域による特性がある」 
と実感したからです。 
 
 
 
 
 
 
 
公害が世間で騒がれていた小学生のとき、
埼玉に近い東京都下からいまも両親が住む
練馬に引っ越しました。 
 
 
 
 
 小学5年生でした。 
 
 
 
 
なじみ深い小学校から離れるにあたって
クラスの全員から
さよならの手紙のような文集を手にしました。 
 
 
 
 
同じ沿線でたった6駅か7駅しか離れていないのに
 (しかもよくもわるくも郊外に近い練馬区なのに) 
 
 
皆一様に
「都会は公害がひどいから気をつけてね」 
「23区は空気が汚れてるから気をつけてね」
 「ぜんそくにならないように」
 とありました。 
 
 
 
実際に引っ越してみても空気の鮮度?の
違いはわかりませんでしたが 
周りの住んでいる人たちに対して 
思うことがありました。 
 
 
 
 
 
引っ越して5.6年経ち
高校生になるかならないかのとき 
隣の家の住人の異常なつきまといに、
 
 
 
とうとう母に 
「ねぇ、昔住んでいたところに帰ろう、帰ろうよ」
と泣きついた記憶があります。 
もうすでにそのときから
我が家は寛ぎの場所でなくなり
出先からはもう自宅に帰りたくないの気持ちでいっぱいになっていました。 
 
 
 
「死」を真剣に模索する時期が続きました。
 
 
 
自宅は安住の地でなくなり
自分はいい年して両親の寝室で
一緒に休むようになりました。
 
 
 
思い返せばテクノロジー被害(攻撃)という電磁波による被害もありました。
 
 
 
 
 
 
このコロナ禍で
医療従事者といっても医者でなく
やはり弱い立場の女性が多い看護師が
ターゲットになり、誹謗中傷を受けています。
「ヤメロ」とか
自分のこどもに
「あの子のお母さん看護師だからコロナにうつっちゃう。
一緒に遊ぶのヤメナサイ」
など言われていますが
 
 
 
集団ストーカーの被害者の
誹謗中傷の事実はもっとすさまじく
勝手に不法に手にしたプライバシーをもとに
「根も葉もある大嘘」を流布されます。
それだけで気に病み尊い命がどれだけ
失われたでしょう。
 
 
 
 
しかし、コロナ禍では
ご丁寧に政府は
『医療従事者に心より感謝する』
とか
『いわれなき中傷はしないよう』
なんて態度を示している。
 
 
 
 
 
 
 
ここまで
差別や偏見に優しい政府だとは
思ってもみませんでしたよ。
 
 
 
 
 
(続きます)
 
 
 
 
 
 
東京は今日は梅雨のような蒸し暑さでした。
水分補給を積極的にしましょう。