あれは十五の春だったか、十五の夜だったか

 

調べてみたら

 

吹く風を心の友と
口笛に心まぎらはし
私がげんげ田を歩いてゐた十五の春は
煙のやうに、野羊のやうに、パルプのやうに、

とんで行つて、もう今頃は、
どこか遠い別の世界で花咲いてゐるであらうか
耳を澄ますと
げんげの色のやうにはぢらひながら遠くに聞こえる

あれは、十五の春の遠い音信なのだらうか
滲むやうに、日が暮れても空のどこかに
あの日の昼のまゝに
あの時が、あの時の物音が経過しつつあるやうに思はれる

それが何処か?――とにかく僕に其処へゆけたらなあ……
心一杯に懺悔して
恕(ゆる)されたといふ気持の中に、再び生きて、
僕は努力家にならうと思ふんだ――

 

という中原中也の詩に出合いました。

 

いま読んでも心打たれます。

 

確か高校1年の「現国」の時間に初めて出合った詩です。

 

現国の先生はこの詩の中に

一つ「暗い」フレーズがありますがどれですか?

 

と問うたような。

 

『懺悔』だったような。

 

中原中也はその波乱万丈な人生の中、十五の頃を振り返りもう一度「生きよう」と強く思ったのではないかなと思います。

 

最後の

再び生きて、

僕は努力家にならうと思ふんだ――

 

のフレーズにじんとします。

 

甥は中高生時代調布の柴崎に住んでいました。

周りは畑もあり、御塔坂下からは私の大好きな深大寺にも近かった。

 

 

 

集ストを行う人間は「嘘つき」という言葉を多用します。

「あいつは嘘つきだから、あの人はウソをつくから」。

 

残念ですが私の職場にもウソの噂を流布する人間がいる。

 

お客様の名誉の為にいいますがお客様はみないい方達ばかりと

断言します。

 

 

〇〇だから

嘘つきだから、

監視して。

警戒して。

関わらないで!(←って関わるか関わらないかは自分で判断しますから。)


 

という「依頼」よりも

 

〇〇と言われたら

嘘つきだと聞かされたら

 

まず自分で確認してみませんか。

実際関わってみてから。

「本当に悪い人なの?」


 

先入観を巧みに利用し嫌な印象を抱かせられる前に、


〇〇だから

嘘つきだから

という人間本人が


嘘つきで人として一番信用出来ないということを肝に銘じましょう。

 

 

 

いよいよセンター試験が始まります!

全国の受験生がベストを尽くせますよう。

 

 

写真は深大寺で求めただるまです。

 

 

大小さまざま、赤青黄色緑色とりどりでとても楽しい。(о´∀`о)




諸願成就。

だるま市に足を運んでみませんか?