子どものことや、保育園保育士の話が続きました。
なぜ自分が保育士になろうとしたのか
保育園でどのように働いたか
綴ってみようと思います。
いまの多摩市に越してきたのが7年前。
ちょうど大震災がおきる前。
越してきて初めて多摩市の図書館で借りた本のタイトルは『教育原理』。
保育士という仕事に興味を持ちました。
身内に年頃の男の子もいましたから、発育や発達に興味を持ったのも事実です。
さっそく多摩市有数のゆりのき保育園で朝夕のパート勤務を始めました。
まぁ、その園長のワンマンぶりは半端ありませんでした。
一連の集スト被害もそこに発端があると言ってもよい位です。
規定の時間給が払われないのは前のブログに書きました。
副園長も「それはひどいんじゃない?」
という始末。
とにかく園長にとってわたしは気に喰わない人間であっただろうとしみじみ思い出します。
なにがしかのコンプレックスを抱えている園長のことはほぼ全職員の暗黙の了解でした。
倒れそうだから明日は休もう……
と思っていたら絶対に出ろと命令。
絶対ですよ。
信じられますか!?
マンションの設備点検があるから休みたいと申し出ても
「休むことは許さない」と。
一事が万事こんな具合でした。
園のあらゆる行事から外され、過酷な状況下で働くように命令。
それでも頑張りました。
正職員の方もわたしを応援してくれました。
当時日に二回勤務(朝と夕方の中抜け……なので日中アルコールも飲まない)でした。
フルタイムで働けるよう園長にお願いして下さいましたが叶いませんでした。
子育てベテランのおばさまいわく
「どこに行ってもおんなじよ」。
が、
職場(保育園)を変えなければフルタイムで働けません。
非常に印象的なのは
その保育園を卒園した卒園生が自殺したとの話が園長からあったこと。
とても綺麗で若い女性でした。
園長いわく
「こんなに綺麗な方がなぜ自殺をするのかわたしにはさっぱりわからない。」
と。
お悔やみの言葉はありません。
いまならピンと来ます。
なので他市でしかも自分ととてもゆかりある調布市の保育園(金子・東部)でフルタイムの勤務に就いたのです。
