前回までのブログで食べ物を(ビニール袋に密閉されているといえど)汚れた床の上に「隠した」「放置した」人間がいるということ、それについて思うことを綴ってきました。

あれこれ思っていると
「渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉にたまたま出合いました。
これは窮乏に貧してもどんな苦境においても決して悪事には手を出さない、手を染めないという意味で孔子の言葉だそうです。

そんなこんなで心が落ち着きました。


いまの時代の「老人」の生き方、あり方に色々思うことがあります。

わたしの住む多摩地域はことに老人が多くのんびり暮らしていると思いきやせっせと集団ストーカー犯罪行為に「いそしむ」人間が多い。

とにかく圧倒的数を誇り?一人の人間をいじめ抜くことに妙な連帯感を持っていて罪悪感のかけらもないと言ってよい位です。


いつでも堂々としている。
笑顔を絶やさない。
晴れやかな表情。
背筋が伸びている。


そんな加担者を見たことがない。


現役を退いたらどう生きるか。
老いたらどう生きるか。

これは自分にとっても大問題なので常々考えています。

時間をもてあまし暇だから。
新興住宅地に引っ越してみれば周りが集スト犯罪行為を普通にしているから。




周囲には現役時代の「栄光」にすがっている老人のなんと多いことだろう。

肩書き、職歴、学歴。
それらをかざし自慢話だけならかわいいですが権威・権力をふるおうとする。


そしてなにより年上だから、目上だから敬われるのは当然と思っている人達。

特に男性は生き延びる生活力(炊事などの家事能力)が女性より劣る傾向があるから余計過去の「栄光」や「以前」の肩書き、昔の武勇伝にすがっている気がします。


若い人達や女性はそんなことは意に介しません。


せっせと洗い物をする、日常の買い物をすすんでする、ゴミを集める、出す、そんな男性を好ましく思う人達が多いと思います。

少なくともわたしはそうする老人に対してとても好感を持ちます。


地位、名誉、肩書きにこだわらない。
経済力(給料)……特に他人の……の多寡にこだわらない。



そんな人間が増えれば少しは集ストなどで一人の人間をいじめる、子どもにいじめを強要する人間は少なくなる気がします。



そしてなによりもTI(ターゲットにされてしまう人間)は、


悪事に決して手を出さない人間、いじめを許さない人間


と仲間達をみて思うのです。