宗教とはなにか。



集団ストーキング行為について調べたり考えたりするたび頭に浮かぶ壮大なテーマ。

宗教とはなにか。


たとえどこの宗派にも属していないと「豪語」している人でも家を新築する際には地鎮祭を行い、死ねば読経くらいあげて欲しいと願っている日本人は多いのではないでしょうか。


宗教とは心の拠り所、心の中に携えていればどのような状況でもなんとか生きていこうと思えるものと勝手に解釈しています。


どの宗教を信仰してもいいと、信仰の自由は憲法で保障されています。


集団ストーキング行為について創価学会が手を下していると、集スト関連記事や集スト関連ネット情報にたくさん記載されているので、創価学会の「宗教的な教え」について調べてみました。

また「仏敵」という物騒な?言葉にもよく出合います。なんだほとけさまの敵って?
ほとけさまに敵がいるとは。
なんだかほとけさまは心が狭いなあと思うのはわたしだけでしょうか。

他の仏教もそうですが起源は日蓮正宗だそうです。

いまや874万世帯が創価学会の信者だそうです。
世帯数だからおよそ日本国民の約10分の1が信者であることがわかります。

もともとは貧しい人や病弱な人を救う宗教だったようです。
いいことですね。

きっと藁にもすがりたい人びとに最初は寄り添っていたのでしょう。
どれだけの人びとを救ったのでしょうか。

いまの巨大化された創価学会は戦後高度成長期を迎え、たくさんの公営の団地を国がつくった頃から変貌を遂げたようです。
創価学会が団地の居住者を受け入れた頃からです。

組織が大きくなるとよくないことが起きることは前回までのブログに記述してますが本当に目にしてきました。

そもそもの誤りあるいは問題は創価学会が政治に介入してきたことだと思います。
純粋に困っている人を救う宗教であればなんの問題もないと思います。

創価学会員であること
= 公明党支持者である

そうなんでしょうか?

創価の教えは特定の政党を支持するものでしょうか?

逆に公明党支持者は創価の教えを信じているのでしょうか、全員が。

個人的にはそのような必要性はまったくないと思っています。

第一それは「政教分離の思想」と反するのではないかと思います。

憲法第20条にもあるように、

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。



信教の自由は保障されているのですから、教えが自分に合わなければ無理に信者でいる必要はまったくないし、そこになんらかの「強制力」が働けばもはや純粋な信仰(宗教)と言い切ることは出来ないと思っています。

創価の教えを享受出来ない、ならば脱会しようと決意した人をみせしめ的に敵対視し、嫌がらせをするのはもってのほかだと思います。
脱会した人に対して嫌がらせを行わなければならないのなら、そこに利害関係、はっきりいえばお金が動いていると推測せざるを得ません。
脱会することにより創価学会は不利益を被る構図です。



今日ポスティングをしていたら、市の人材シルバーセンターが防犯ボランティアを名乗る車を使い「威嚇」してきました。


シルバーセンターに登録し、実際にボランティアを行うご年配の方は人をつけまわしたり、不審人物と思われる人間を「監視」することに対してまったく悪気なく、むしろ良いことをしているんだ、という自負すら抱いているかもしれません。


違います。



これからの超高齢社会のさなか、特に定年退職を迎えたご年配の方々の新たな「生きがい」に対して。

誤った方向にだけは決して使って欲しくありません。
「生きがい」や「心の張り」を失ったご年配の方々の心の隙間に邪悪な仕事、頼みごとを決してして欲しくありません。




そしてそういう邪悪な頼まれごとに決して応じないためには気づいた時に(若くなくても構わないと思います)自分は何を大切にして生きていくのかを常に思い、良心を失くさいと決意して生きていくことが必要ではないかと、自戒も込めて思うのです。


宗教とはいったいなんなのでしょうか。