時代によって価値観が違い、それに伴いボクシングに限らず他のスポーツも見方が変わるもの。


昭和20年、日本は白人列強に破れて敗戦。

当然ながら白人列強に劣等感はあったであろう。


そんな最中、昭和30年代、プロレスの力道山がアメリカ人のフレッド・ブラッシー、シャープ兄弟、ザ・デストロイヤーを空手チョップで倒すのだから日本中が熱狂した。


またボクシングでも白井義男や米倉建志の世界タイトルマッチが後楽園球場で開催されたり、ファイティング原田の人気も凄かった。


それは敗戦直後でアメリカ人に劣等感があった日本人にとって、ボクシングやプロレスで日本人がアメリカ人や白人を倒す姿に勇気をもらったから。


昭和40年代、まだまだ日本は貧しく、その貧しさからはい上がってきた輪島功一、或いは、圧倒的な強さで防衛を続けた具志堅用高も人気があった。


そうして、具志堅用高の引退後、渡嘉敷勝男など世界王者は誕生はしたが、年々、ボクシングやプロレスの人気も落ちてきた。

高度成長期に伴い、人々は好景気で、あまりスポーツを見なくなったか。


またボクシングも冬の時代と言われ、日本人の世界挑戦は21連敗となり、日本人の世界王者の不在期間が続いた。


そんな中、強烈な印象で現れたのが辰吉や鬼塚ではなかったか。


鬼塚は寡黙であったが、辰吉はこれまで日本人ボクサーにあまり見ないようなビッグマウスで、瞬く間に人気者になり、またプロ8戦目で世界を奪取したのだから有言実行。

だが、こうした辰吉人気に、結果的に辰吉を壊したように思う。

網膜剥離になっても、現役続行を許可し、辰吉は壊れた。


時代背景を見ると、具志堅用高以降、人気あるボクサーが誕生しなかった日本に、どうしても辰吉の人気は手離せなかった。


その辰吉に影響を受けてボクシングを始めたのが畑山隆則。

畑山隆則も、辰吉のようにビッグマウスであっだが人気は普通。

畑山隆則自身、「辰吉さんの人気はカリスマ、自分の人気は作られた」と。


畑山が最初に世界王者になった時、視聴率は10%前後。

そこで一度引退し、タレントとして『ガチンコ・ファイトクラブ』に出演して人気が出ると、ボクシングに戻ってきた。


坂本博之戦では視聴率30%を記録したのだから。


そんなバラエティー番組を真似て登場したのが亀田兄弟。


過度なパフォーマンスで時の人になった亀田兄弟であったが…。

その後のトラブルで大きくボクシング界は低迷したように思う。


それから井上が出てきた。


井上は最初から人気があった訳でもなく、世間的には無名でしょう。

だけど、軽量級のボクサーとは思えないような倒し屋で段々と人気を集め、またネット配信と言う今の時代に適した放送で巨額なファイトマネーを手にした。


こうして時代背景と共にボクシングも変わっていく。


昔は昔、今は今、だから、ファイティング原田や辰吉を今の価値観で断罪したところで、時代が違うから、としか言い様がない。