亀田兄弟が内藤大助に絡んだのは2007年から2009年であったが、当時の日本はWBCとWBAを認定としてた。
2011年にかIBF、WBOも認定し現在に至る。
つまり当時、WBAが同門の坂田健史が世界フライ級王者だったので、亀田兄弟が狙えるのはWBC王者の内藤大助のみ、と言う事も頭に入れたい。
その内藤大助も、ポンサクレックに勝った時が32歳と10ヶ月で、キャリアの終盤に差し掛かっていた。
そんな内藤大助に、当時、日本フライ級王者で世界14位の清水智信が挑戦してきた。
清水は後々の世界王者であるが、内藤大助に挑戦時は、日本フライ級王者になったばかりでほぼほぼ無名に近かった。
そんな清水を相手に内藤大助は苦戦を強いられた。
8ラウンドの公開採点でジャッジ三者が清水を優勢とし、続く9回もジャッジ三者が清水を優勢とした。
まさに、絶体絶命の危機の中、内藤大助のカウンターが決まると清水はダウン。
立ち上がる清水に、内藤大助はさらにたたみかけて試合を終わらせた。
稀に見る逆転KOであったが、会場に来てた亀田興毅はリングに上がり、内藤大助に挑戦を告げた。
当時、自分は「清水の苦戦で内藤大助の劣化を悟ったか、ほんと抜け目がない」と思ったものだ。
休憩、休憩しよ~(笑)