刑法を勉強していくなかで避けては通れぬいばらの道…。
今回は因果関係のお話です。
犯罪の成立要件としての構成要件段階において、まず最初に問題となるのが「実行行為」です。
そして、その実行行為と発生した一定の結果を結びつける概念が因果関係です。
つまり、因果関係は構成要件段階で論じられるべきテーマであり、結果が発生していて初めて問題となるものということができます。
・設例1
甲は乙の腕をナイフで切りつけ、傷害を負わせた。
この場合、甲の「ナイフで切りつける」という傷害の実行行為、乙の「腕の傷害」という結果が発生しています。甲の実行行為によって結果が発生しています。この~によっての働きをするのが因果関係です。それでは、次のような場合、甲の実行行為と生じた結果との間に、因果関係があるといえるでしょうか?
①設例1でけがをした乙は、重度の心臓病を患っており、ショック死した。
②設例1でけがをした乙は、救急車で緊急搬送されていたが、その搬送中に救急車が交通事故に遭い、死亡した。
この2つの「死」という結果は、甲の実行行為によって引き起こされたものといえるでしょうか?
なかなか判断に迷いますよね。
では、これを学説・判例を交えて検討していきましょう。
この2つの例に共通する点はなんでしょうか?
1つは、どちらも死という結果が生じていることでしょう。
もう1つの共通点として、どちらも結果が生じる前に甲によって腕を切りつけられたという事実が存在することでしょう。
もし甲が乙の腕を切りつけていなければ、①心臓病を患う乙がショック死をすることはなかったし、②救急車で搬送されることもなく、当然事故に巻き込まれ死亡することもなかったわけです。
つまり、事実を全体としてみたときに、甲の行為と結果との間にはつながりがあるといえます。
このような事実的な行為と結果のつながりのことを条件関係(あれなければこれなしの関係)といいます。
①②はいずれも、甲の行為と死という結果に条件関係があるといえます。
では、条件関係が認められたら、因果関係はあると言ってしまっていいのでしょうか?
言い方を換えると、実行行為を行った甲に、①②の死の結果に対する責任を問うことはできるのでしょうか?
学説には、条件関係があれば因果関係があるといえるというものもあります(条件説)。
しかし、それではあまりにも因果関係が広く肯定されてしまい、不適当だ、というような批判が向けられます。
たしかに、甲は、乙が救急車で搬送されているときに事故に遭って死ぬという結果をコントロールすることは不可能に近いですよね。
そこで登場したのが相当因果関係説という立場です。
これは、条件関係の存在を前提としつつ、社会生活上の経験に照らし結果発生が相当な場合に刑法上の因果関係を認めるとする立場です。
ちょっとわかりづらい表現ですよね…。
ざっくりいえば、「普通に考えてそんなことしたら、こんなことが起きるっていうこともありえるよね」ってことです。
つまり、行為者に責任を問うために、条件関係とは別に、法的な因果関係を要求しているのです。
このような二重のしぼりを加えることで、条件説の問題点だった、因果関係が広く肯定されすぎるという点をうまく解決しているし、まあ納得できる説明ではあるように思えます。
しかし、この学説に対しても、「相当」といえるかどうかの判断基準が曖昧である、といったような批判が浴びせられます。
(このほかのも多くの学説が存在します)
この批判は困ったものですね…。
…ま、まあ批判は一旦置いておいて、ここでは各学説の①②の帰結を整理していきましょう。
条件説に立てば、すでに確認したとおり、①②いずれも甲の実行行為と結果との間に条件関係(あれなければこれなしの関係)があるといえます。よって行為と結果との間に因果関係が認められるといえます。甲は①②いづれも、傷害致死の罪責を負うことになる、ということですね。
相当因果関係説に立てば、②の場合、甲の実行行為と乙の事故死という結果との間に相当な関係はなさそうですよね。それにしても「相当」って何なんでしょうか…?
①の場合、甲の実行行為と乙のショック死という結果との間に相当な関係は…あるのか?ないのか?
もし甲が乙が心臓病を患っていることを知っていたら?普通に考えて乙が心臓病(とはいえなくとも重大な病気)であるということが一般的に認識可能だったら?
どうやら相当因果関係説でこの設例の結論を導き出すには、客観的な事実を因果関係の判断要素としてどう捉えるのか、「相当性」とはなんなのかを理解していないとダメなようですね…。
今回はこの辺で、次回、相当因果関係説において、相当性を判断する基礎としてどのような事情を考慮するのか?というテーマについて学説・判例状況を整理し、設例の最終的な帰結について考察していきます。