本日は、SNSやレビューサイトを介した「共感」のお話をすこし。

 

今は、リアルで同担が見つからなくとも、SNS, 動画, レビューを介して、たくさん同じ趣味の人が見つかるから幸せな時代だよねって話です。

 

オーディオ愛好家のブログを徘徊していると、みなさん結構ロック、ポップス、歌謡曲などの愛好家が多くて、しかもそれをリファレンスにして音質評価しているのを知って驚いています。大昔は、ホラ、ロックやポップスというと、ピュアオーディオ的には少し小馬鹿にされているような雰囲気がありませんでしたか。(これは評論家や雑誌の影響が大きかったと思う)

 

実際、ポップスやジャズはモノラルで収録した音源を、パンニングとイコライジングでステレオに仕立てただけのモノ。ステレオではありません。それを、口の大きさがどうの、定位がどうのと言うのは馬鹿げているという論調がありましたし、今でもそうだとは思います。しかし、音場再生やステージングにロックやポップスはお呼びでない、というのは少し違うと思う。

子供の頃、小僧の頃、本当にロックが好きでした。オーディオというのは本来好きな音楽を聴くときの音質を追求するのが最終ゴールなのに、一番好きな音楽のジャンルとオーディオが乖離しているというのは馬鹿げているじゃないですか。

 

あ、もちろん私もご多分に漏れず、ピュアな2ch収録、本物のステレオ録音のワンポイントソースなど、大量に買い込んでいます。しかし、それって本当に好きな音楽ジャンルとは微妙にずれているのですよね。クラシックですら、マイク2本ではなく、マルチマイクで収録されたソースは少なくありませんし。

 

 

で、話がかなり脱線しましたが、「今は感覚共有が容易で幸せな時代だよね」って話です。

私が子供の頃は、私の周りは歌謡曲やアニソンを聴いている人ばかりで、私のように洋楽の流れるラジオを中心にマニアックなロックにのめりこむ人種は皆無でした。つまり、同担はおろか、指向性が同ジャンルの友達さえ見つからないのです。

たまに友達に聞かせても、「ナニこれ?」「ナニがいいんだか分からない」と一刀両断される始末。

 

具体的にいうと、例えばコレとか。

 

Stranglers : Black & White

 

今や説明の必要もない名盤中の名盤。

今聞くと、良質なPOPにさえ聞こえる。しかし、当時はこんなに凶暴凶悪な音楽はないと感じていました。今聞いても、自分のなかの一番凶暴な部分がムクムクと励起されるのを感じます。当時は英語なんか分からなかったけど、ジャンジャックバーネルのベースを聴いたら彼らが何を伝えたいのか、全て分かりました。

パルジファルで、独語がまったく理解できないのに、何を伝えたいのか分かり、頭を垂れたのと全く同じです。音楽は偉大だ。

 

で、当時は誰ともその素晴らしさを共有したり、共感できたりはなかったが、今はとてつもなく容易。そういう話。

 

例えばAmazonのレビュー欄です。このBlack & Whiteのレビューを見に行けば、共感の嵐。私なんかが今更レビュー垂れる必要がないくらい、「そう!そうなんです!その通り!」当時の私の心象風景をそのまんま、表現してくれている共感レビューがずらり。あまりの共感で溜飲が下がり、過去の理解してもらえなかった価値観の泥濘がここで精算され、私は浄化されます。そこが「今はいい時代」という表現につながるわけです。

 

これって実は、凄いことなんですね。まさにこれが共時性だと思います。

当時、SNSもなければインターネットもない時代に、多くの人間が言語ではない媒体にもかかわらず、偶然同じような感覚に陥り、似たようなショッキングな体験をし、大きな精神的インパクトを受けていた人が沢山いた。そんな事実が何十年も経ってから証明された。音楽って、すごすぎる。

 

この盤に限らず、そんなのばっかりなのです。「私だけだろ、こんなこと感じてるのは」と思い込んでいたものが、その当時私と同じ衝撃を受けた人たちがこんなにたくさん・・・!!そして、いつの間にか神格化された存在になっていた名盤が沢山ある。

 と驚くことばかりです。名盤扱いになっていることさえ、知らなかったりね。

 

Lovelessなんかもそうですね、機会があればそのうち。