○掲載 2019年4月19日

○最終更新 2019年8月6日


今回は、都心に残る緑、石神井公園について紹介致します。


目次

①石神井城趾史蹟碑

②現在の石神井公園

③照姫伝説

④照姫まつり

⑤納涼 灯篭流しの夕べ



①石神井城趾史蹟碑

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石神井城趾史跡碑(石神井城趾史蹟碑)は練馬区にある石碑です。


>>>━━━━【基本情報】━━━━<<<
住所…東京都練馬区石神井台1丁目 東京都立石神井公園内
設置年…昭和12年6月
設置者…社團法人石神井風致協會



>>>━━━━━━【碑文】━━━━━<<<
(本来は縦書きですが、都合上横書きに致します。)

[表面]

石神井城趾史蹟碑

水鶏鳴き螢に名を得たる當石神井城址は其昔豊島の豪族代々此の地の池を中心尓附近一帯を居城となせしが文明九年豊島勘解由左衛門尉泰經の代に至り長尾景春は管領上杉顯定に叛き武蔵相模の同士と相謀り兵を興す尓及び當城主泰經及平塚城主なる弟平左衛門尉泰明と共に景春に應じ江戸河越の通路を斷ちしかば江戸在城扇谷上杉定正の臣太田道灌兵を卒て平塚城を攻め城下に火を放つとの報尓より泰經直ちに之を救んと當城并尓練馬城の兵を卒て馳向ふ途中江古田ヶ原沼袋にて太田の軍と遭遇激戰数數刻にして遂尓泰明及板橋赤塚の一族百五十有餘名討死す太田勢は時を移さず練馬及び當城に攻め入れば豊島勢善く戰しも衆寡敵せず城遂に陷落す時に文明九年四月十八日の事なり
星移り物變り春秋を重ぬる事五百囘天地の悠久に比すれば人生蜉蝣の如く興亡轉た夢の如し往時を顧る者些なく年經る尓つれ此の郷土の貴き史蹟を忘れらるゝを惜しみて之を◯に鐫して後世に傳ふ

社團法人石神井風致協會建

昭和十二年六月 田中酉蔵撰


[裏面]

昭和十二年六月 田中酉蔵


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※◯の部分は‘賢’の[貝]の字が[石]の漢字です。
※[尓]は平仮名の[に]と同じです。
(reochiさんに教えていただきました。)

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※下記の注釈は練馬区立石神井図書館と、Wikipediaで調べました。
>石神井城…鎌倉時代後期に築城され、城主は豊島氏。現在は都指定史跡。

>勘解由左衛門尉…城主の泰經の弟の泰明のこと。

>扇谷上杉家…河越城(川越城)を本拠とし南関東を支配した。

>上杉顯定…関東に下向して鎌倉で足利氏満に仕え、鎌倉扇谷の地に居住し、扇谷上杉家の祖となった。

>長尾景春(かげはる)…主君は上杉顯定だったが、足利成氏にうつす。長尾景春の乱を起こす。

>太田道灌…江戸城を築城。長尾景春の乱で活躍。この石碑に書かれている豊島氏一族の城は全て道灌が落とした。

>江古田ヶ原・沼袋の戦い…長尾景春の乱の一つで太田道灌と豊島泰經が今の中野区江古田で戦った。

>社団法人石神井風致協会…1933年設立。石神井風致地区の管理。


>>>━━━━━【その他】━━━━━<<<

>題の部分は篆書が用いられている。(Twitterのフォロワーさんのreochiさんより情報をいただきました。)

>前半は、石神井城陥落までの歴史、後半は石神井風致協会の方々の、人生とは儚(はかな)いものであると伝えるこの地を忘れてほしくない、という切実な思いが書かれていると感じた。


②現在の石神井公園

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三宝寺池の木道

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三宝寺池は、国の天然記念物三宝寺池の沼沢植物群」に登録されている。

中之島は、普段立ち入ることはできないが、稀に保護団体主催のツアーが行われているらしい。

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写真中央の小島に先ほどの石碑が建っている。



③照姫伝説

また、先ほどの石碑には書かれていないが、付近には、照姫伝説が伝わっている。

照姫伝説
太田道灌に攻められ最期を悟った
石神井城主の豊島泰経は、家宝で
ある金の乗鞍を置いた白馬にまた
がり、城の背後の三宝寺池に身を
沈めた。泰経の娘の照姫もまた父
の死を悲しみ、後を追って
三宝寺池に身を投げた。

道灌はこれを憐れみ、照姫の亡骸
を弔って塚を築き、この塚は
いつしか姫塚と呼ばれ、
そのそばの老松に登ると、
池の底に泰経とともに
沈んだ金の鞍が燦然と輝いているのが見える。

大正7年(1918年)刊行『東京府北豊島郡誌』
(北豊島郡農会刊行)は、
地域の神社仏閣や伝説、風俗などが
記されたものである。
その中で、
「豊島泰経が落城に際し、
愛馬諸共池に入り戦死した。
この松の上から池底を望むと、
金の乗鞍が光ると伝へられ、
この松を照日松と呼ぶ」
と記述されています。
※出典:練馬ふるさと事典(2011年、
練馬古文書研究会)

「金の乗鞍と照姫」の伝説については、
『東京府北豊島郡誌』の刊行から約20年を遡った、
明治29年(1896年)の小説『照日の松』
(遅塚麗水著)を起源とする説が有力です。

この小説には、「照日姫」が登場し、また
「豊島泰経が愛馬もろとも
三宝寺池で戦死し「照日の松」から池を
見ると鞍の輝きが見える」
という筋書きがあります。
ただし、小説が完全な創作か、
地元取材をもとにした創作かは定かではない。

明治41年(1908年)、
地元から都知事に許可を願い出て、
三宝寺池に沈むとされる
伝説の「金の乗鞍」を発見しようと
池の探索が行われたそうです。
このエピソードから、
「金の乗鞍と照姫」の伝説が、
当時すでに地域に浸透していたことが
伺われます。

現在では、石神井公園で、昭和63年から
毎年照姫まつりが開催され、
伝説は語り継がれていっています。

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以上【照姫伝説】の項は、
照姫まつり公式サイトを参考にして、文章を借用し、一部させていただきました。


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都立石神井公園の北部にある殿塚
豊島泰經の為の塚ですが、塚って言うような築山は特になかったです。

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ねりまの名木にも認定されているシラカシの大木が姫塚に生え、とても神々しいです。



④照姫まつり

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(令和元年5月12日撮影)
照姫まつりは、駅から公園にかけてのバス通りを閉鎖し、バス停を移設するなど、大々的にまつりは行われ、練馬2大まつりの一つらしいです。


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以下は、令和元年5/17撮影

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西武池袋線石神井公園駅のバスロータリー
広々としている。

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臨時時刻表も発表された。


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以下は照姫まつり当日の写真です。


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都立石神井公園の会場

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ボートから照姫行列を眺める人もいた。

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石神井公園駅にて照姫行列を待つ観衆たち

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照姫行列1

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照姫行列2
照姫役の登場。

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照姫行列3
豊島泰經役の登場

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照姫行列4
大奥役

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照姫行列5

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照姫行列6

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照姫行列7

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照姫行列8



⑤納涼灯篭流しの夕べ
毎年8月に開かれている灯篭流し。
地元の商店街が主催で、石神井池(ボート池)で開催されます。
2019年8月3日に第69回が開かれ、そちらのレポをいたします。


対岸に小灯籠が見えます。


色鮮やかなでっけぇ灯籠。


金色に光る灯籠も。


撮り方下手くそですが、祭りの終わりには花火があがりました!

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最後まで読んで下さりありがとうございました。

是非石碑は実物を見て、何かを感じていただければ、石神井風致協会の方々も喜んでくれると思います!

また、照姫まつりや灯籠流しへも、是非ご参加ください!(*^^*)