今回は、西武池袋線ひばりヶ丘駅から南へ伸びる、都道112号線を紹介します!


⚫〈調査日〉
2019年(令和元年)6月3日 18:00頃

⚫〈紹介順〉
本線…起点(ひばりヶ丘駅)→終点(青梅街道交点)
支線1…今回は紹介致しません
支線2…起点(本線分岐点)→終点(新青梅街道交点)
西東京市道東大農場通り…新青梅街道→都道112交点


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○概要図
本線…赤い南北に伸びる線
支線1…ひばりヶ丘駅付近の赤い東西に伸びる線
支線2…南の方に僅かに伸びる赤い線。
西東京市道東大農場通り…青い線





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①都道112号ひばりケ丘停車場線 本線
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○本線起点

都道112号は、西武池袋線ひばりヶ丘駅南口から田無方面にむかい青梅街道へ合流する、停車場都道有数の距離を誇ります。

また、駅名は“ひばり丘”ですが、都道は“ひばり丘”となっています。
なんでだろ?

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ホントに都道かな?と思い路面を見るときちんと道界がありました。

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古くからあると思われる商店街があり、人々で賑わっていました。

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この先からは“谷戸新道”と呼ばれる二車線道路になります。

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ほとんどの地図ではひばりヶ丘駅南口のロータリーから谷戸新道への道(バス通り)が都道として表記していますが、実際に訪れてみるとは西東京市道でした。

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谷戸新道には0.3キロポストがありました。

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谷戸新道を進んで行きます。

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なんだこの標識は?
凄い形の道がこの先に待っているのかとおもったら、カーブはほとんど無く、謎だった。

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道の左側にはガードレール付きの歩道が無かった。

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一キロポスト

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左手に旧道らしきものがわかれている。

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地図を見ると、やはり“オートショップ多摩”付近に蛇行した道がある。

(道界などを調査した結果、本線東側の旧道らしきものは西東京市道でした。)

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対して現道の西側の旧道らしきものは都道のようで銀杏ガードレールが設置されていました。

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谷戸新道に戻り、進んで行きます。
青看板の手前で支線2がわかれています。

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○終点付近

写真は新青梅街道との交差点です。
この数十メートル先で青梅街道と交差し、終点となります。

(写真を消してしまっていたため後日終点の写真はあげます。すみません。)









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都道112号ひばりケ丘停車場線支線2
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○支線2 起点付近

こちらは現在本線となっている谷戸新道の旧道です。距離はおよそ150メートルと非常に短いです。

Wikipedia(⇒こちらです。)によると2004年頃谷戸新道が完成し、こちらは支線として保存されたとありましたが、西東京市や田無市の公報にはそのソースを見つけることはできませんでした。

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こんな風景。

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○支線2 終点付近

新青梅街道と交差して、この支線は終わる。








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西東京市道 東大農場通り
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どうして市道を調査したのか?

実は以前の記事、新川(西東京市)南側本流には書きませんでしたが、この調査の際に見つけた“銀杏ガードレール”について調査するためです。

ちなみに都内と同じ形をした銀杏ガードレールは、遠く離れた桐生駅にもあるとTwitterのフォロワーさんに教えていただきました。

もしかしたら東京都設置が多いだけで、日本全国にあるのかもしれない。

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○東大農場通り 新青梅街道交点(起点)


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(旧)田無市の道界だ。

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こんな感じの狭い道が東大農学機構に沿って続いていく。

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これが例の銀杏ガードレール
付近の道界を調査したものの、西東京市もしくは田無市のものでした。

もしかしたらかつては都道だったのかもしれないと思い先へ進む。

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一切痕跡がないまま終点へ。

結局なんだったのか?夢か?いや、そんなわけはない。

もうひとつ可能性があるならば、銀杏ガードレール近くを流れていた新川が東京都の管理であった説です。

まだわからないところが多いですが、資料を調査して結論へと導きたいです。