鹿島鉄道 廃線たどり 2024春

調査のきっかけ
ずっとやりたかった廃線たどり。東京に住んでいる時からやってみたかったものの、都内の廃線は大量にあるものの痕跡がほぼない!
茨城に移り住んで、県内には遺構があることで有名なもので3つの廃線があることを知りました。「日立電鉄」「筑波鉄道」そして「鹿島鉄道」です。ちなみに日立電鉄は日立市の鮎川から常陸太田市の常北太田を結んだ日立製作所関連の会社、筑波鉄道は土浦市の土浦駅から岩瀬町(現:桜川市)の岩瀬駅を結んだ関東鉄道関連の会社です。日立電鉄は駅舎の遺構は皆無、筑波鉄道はサイクリングロードとして整備されホーム跡が残るものの、当時の様子は想像しにくいです。そんななか、鹿島鉄道は一部の駅の遺構が残っているとか。

鹿島鉄道とは?
2007年まで存在した、茨城県の私鉄路線です。鹿島鉄道は鉾田線の1路線のみで、常磐線乗り換え駅の石岡から、小川や玉造を経て鉾田へ至る鉄道でした。もともとは鹿島神宮への参宮鉄道として計画されたものの、結果的には石岡から鉾田までの鉄路が敷かれ、鉾田から鹿島神宮まではバスで結ばれました。鹿島鉄道廃止の直前には国鉄鹿島線の事業中止区間((鹿島神宮~)北鹿島~水戸)三セクの鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が開通しました。
実際に辿って分かったことは、鹿行地域は沿線人口が極端に少ないということ。車社会の茨城で平成中期まで生き延びた路線ながら、駅周辺に宅地も無い、あっても小さな集落程度の場所が多かったです。
もうひとつ感じたことは、鹿島鉄道はまだ廃線にならない自信があったのではないか、ということ。電化はされなかったものの、設備投資が行われている箇所が多く、新しい橋梁や駅設備も散見されました。

本編:鹿島鉄道たどりレポート
#1 石岡駅→石岡南台駅
JR常磐線 石岡駅
石岡駅は2016年に現在の駅舎に建て替えられ、鹿島鉄道の痕跡はありません。

駅東口には真新しいバスロータリーがありますが、これが鹿島鉄道 石岡駅跡地です。今は鹿島鉄道代替バスの「かしてつバス」が発着しています(かしてつバス専用バスターミナル)。かしてつバスは、鹿島鉄道跡に概ね沿って石岡駅から鉾田駅(跡)を結んでいます。この代替バスは借宿前駅(跡)は経由しておらず、借宿前は唯一代替交通機関が設定されなかった駅です。また、小川駅からは茨城空港方面へのバスも分岐し、空路の需要もささえる路線バスとなっています。

広々とした鹿島鉄道石岡駅跡

石岡駅方向をのぞむ。

鉾田駅方向「鹿島鉄道跡地 バス専用道」という看板があります。

かしてつバス 石岡一高下停留所
自転車も含め道路への立ち入りは禁止です。迂回しながら跡地をたどろうと思います。

石岡跨線橋(国道6号)より鉾田方。
バラストや延々と続いた鉄の路はアスファルト舗装に。今はタイヤの轍による2本の細長い筋が鉾田方面へ続きます。

左右に横切るものが鉄道跡地、バス専用道です。

緩やかなカーブが鉄道らしさです。

かしてつバス 兵崎南駅
鉄道時代に駅がなかった場所にもバス停が設置されたのは代替交通機関の良いところです。このあたりは住宅地が広がり、石岡駅までは坂も多いので自転車よりもバスが良い、と思う人もいるでしょう。

鉾田方をのぞむ。
切り通しを進む鉄道跡地。

フローラルシティ南台(石岡市)
少し鉾田方に進み、新興住宅地のフローラルシティ南台へ。左右に横切るコンクリート製の橋梁は鹿島鉄道のものです。今はバスが走ります。
鉄道橋は道路橋よりも厳しい安全係数(実際に橋が耐える力よりも、小さな力で壊れると仮定することで、仮に橋が強度不足でも車両が通過した時に破壊しないようにする)で考えられ、非常に安全な設計がされます。道路橋に転用しても問題なく利用ができます。(逆に道路橋から鉄道橋への転用は設計指針が違うので厳しいです)

「南台架道橋」(フローラルシティ南台)
1983年竣工と、比較的新しい橋梁です。竣工年の下に「荷重 KS-12」と書かれていますが、これが鉄道橋の荷重の基準です。KS-12で定められた列車の重さに余裕で耐える橋ですよ!ということを示しています。

南台架道橋の近くにはなんと、「石岡南台駅」と書かれた看板が!おそらく鹿島鉄道があった時から撤去されずに残っているのでしょう。
今も駅跡地には「石岡南台駅」というバス停があるので間違っているわけではないからか撤去されないのでしょう。それか意図的に遺構として残してるか、単に忘れ去られてるか。後者な気がしますけどね笑

先程の看板から坂を上がると、ちょっとした広場に出ます。ここが石岡南台駅です。奥に特徴ある建物があるので近づいて見ましょうか



次の記事では【石岡南台駅】の探索記録を書きます!
更新まで暫しお待ちください。