今年の登山の遭難 異常な位多い。同じ山の仲間が亡くなる事ほど辛い事は無い。なので自分は山岳指導員の資格を取る事を目指している。来年検定だが(>人<;)


登山や山岳移動運用どれだけの人が安全率が高く出来ているのだろう?そもそも それが出来るとはどんな事なのでしょう?無事に下山出来たら登山が出来ているのか?それは違う気がする。ただ単にそれは何も無かったから無事でいられただけ、何かあった時の装備、技術は大丈夫?計画は?それら全てが満たされて初めて出来たと言えるのだと思う。ファーストエイドキットは?ヘッドライトは?防寒着は?ツェルトは?非常食は?お湯を作る道具は?コンパスは?地図は?登山計画書は?非常時の行動計画は?


まぁ乱暴な話しソロで行くなら装備不足でも最悪な場合のツケが回ってくるのは自分と家族だけ最悪の結果は己で負うことになる。でも複数で行動する場合 何か持っていない物が有れば他人の道具を当てにする事になる。他人の生命をも危険に晒す行為‼️持っている人だって救助隊じゃない他人に使う為に持っている訳じゃない。自分に何かあった時の為の装備、だからお金を掛けて道具を揃え技術を学び、重い荷物を持って山へ行く⛰なぜ安全意識の欠如した者の為に自分が犠牲にならなければいけないのか?お金も掛けず技術も学ばず軽い荷物で楽しんでいる人が何かあった時に助けてもらえ、万全の装備、技術を身につけ、重い荷物を持ち山へ行く人が何かあった時は周りに居るのは道具や、知識の無い仲間、これは醜い。どれだけ訓練し学んでも事故は起きる物。


困った人を助けたく無い訳では無いです。困って居る人にこそ手を差し伸べるべき、そんな人が増えて欲しい。

自分の持論は、情けは人の為ならず!


読んだまま、情けは他人(ひと)の為では無い。自分の為だ、困って居る人に手を差し伸べられてこそ自分が困って居る時に助けて貰える。困った人を助けてあげられない様な人を他人は助けてくれない。



山から安全に帰って来れるのは必然では無い。限りなく100%に近い危機管理を心がけている中の偶然で安全に下山出来て居るに過ぎない。自分はそう思う。

それなりの装備を持てば当然重くなる。移動運用となれば更に重くなる。全てを持って上がれてこその登山、山岳移動運用なのだと思う。山に低いから安全 高いから危険 そんな概念は存在しない。そんな考え、装備不足、技術不足の遭難予備軍の登山者が減り、安全に移動運用を楽しむ方、登山者が増えれば良いなと切に願います。