ここ数年北海道なのででは無いけど、ジャガイモと裏庭で栽培しています。

昨年は、種芋の植栽時期に入院していて、植栽がいつもと比較すると1か月遅れたので、そのせいかと思ったけど、秋の収穫は悲惨でした。

 

あ~植えているのは、レッドムーンという品種で、北海道でも道南の一部でしか栽培していないらしい、珍しい品種に挑戦しています。

そんで、今年こそと思って、去年にくらべて早めに植えて、多分大丈夫だろうと心の中で思っていたんだけど・・・・育ち方が・・・バラバラで、う~ん・・・今年もダメかなぁ~状態です。

育ちの良いものは40㎝ほどに伸び、花も咲ているのですが、これがぁ~と言うものは、やっと芽が出てきた様な状態です。(それも最近)

 

男爵とか北あかりは、それなりに有名ですよね。でも、レッドムーンとかは、ネットで調べてもややお高い価格で載っています。

今回のことを踏まえて、ネットでレッドムーンを調べてみたら、やはり、なかなか栽培には難しいことを記載されていました。そっかぁ~そうだよねぇ

う~ん・・・そうか・・・なるほど、最初の年には、放っておいたのに、そこその収穫があったのが、そんな経験が、今の有様を生んだのかなぁ~

やっぱ、もっと一般的な品種にすべきだったかと・・・

 

ミニトマトとか、シシトウ、ピーマンはそれなりな状態です。

う~ん・・・・草取りだけは、しっかりしています。(にしむら)

 先日外堀内堀を埋められて、どうしても逃げおうせなくて、在宅の重心に相当するユーザーの状況を見てきました。

 本日、その改善すべきレポートをまとめ終ったので、一段落です。改善案は提案できますが、それは今まで担当してきたいわゆる専門家の作業を否定ることになります。これが「ねぇ~」辛さの元になるのです。

 

 詳しいことは個人情報に属することなので、控えさせていただくとして、私が何故全国的な講習活動や現場活動からリタイアしたことについて、少しだけお話しします。

 

 私は長年車いすSIGや各種姿勢保持に関する団体からのオファーや厚生労働省の外郭団体のワーキンググループ位置付けの委員会等の要請に応える形で、ABSのお話をさせていただいていました。

 しかし、60歳の定年を迎えて、私のこの様な活動を支え続けてくれた妻の深刻な病気もあって、それなりの引き止めとあったと思うのですが、北海道医療センター医師石川先生や北海道医療大の本家教授のとても熱心な勧誘を受けた臨床活動と講義活動を除いて、きれいさっぱりさせて現役からリタイヤして、家族のために静かな生活を取り戻していました。

 

 この静かな生活は私にとってとても大切な事です。裏庭に植えた作物の生育状況を見つめていると、裏切りやお馬鹿なことには出会うことはありません。

 

 冷静に過去に関わってきて世界を見つめると、今でもシーティングで書籍や所属する団体の出張旅費による講習会参加による知識取得を根拠として、車いすや姿勢保持装置の処方などに関わる人たちの権威的なだけで、どう善意に考えようとしても、どうしようもない酷い現実に向き合わなければならないからなのです。

 現役バリバリの時期であれば、なんとかできたこともあるかも知れませんが、現役リタイア組で12年程も経過しているので、なかなか辛い思いをするだけで、心が重くなるだけなのです。

 

 なぜ、書籍や所属する機関の出張旅費をいただいた講習会参加だけなのでしょうか?現場には、現状を変えるための沢山の宝物があるはずなのに、何で、それを見ようとしないのでしょうか?見えないほどに愚かなのでしょうか?それとも自分自身の立場の保全だけを考えている行動なのでしょうか?

 

 たまたま、その様なユーザーの人達と出会い、仕事として向かい合いながらも、経験が乏しい医者もOTやPTをはじめとしたコメディカルの仕事の残像を追うことは、とても辛い苦しみしかもたらしません。

 

 この世界の仕事とは、口コミで仕事量が爆発的に増えてきます。札幌医科大学非常勤非常勤講師時代のシーティングクリニック、地域技術支援の各養護学校の作業、本業である総合相談所の地域(札幌から離れた地域)サテライトクリニックなど、動き出すと収取がつかなくなるほどの患者さまの増加でした。

 でも、組織でやることですから、そんなに一部だけの需要が増えることは、組織内の様々な異論と摩擦も生じます。それらを聞き流しスルー出来るのは医者だけで、私なんぞ医者に攻撃できない分までも絶好の攻撃先になるのはとても辛いことです。なんでやねん....

 あ~何で求められているのに、こんな思いをしながら、本当に苦労を重ねてし続けなければならないのだろうと考えるのが、普通だと思います。

 

 だから、今は72歳になって裏庭に畑の世話をしつつ、できるだけ静かに誰にも知られない様に、生活し続けたいと思っているのです。

 今でも権力をもってる人たちが、目の前のユーザーのありのままの姿から科学として評価学ばないのであれば、自分たちの世界に浸り新しい提案を受け入れないのであれば、この状態は今後も続くことでしょう。

今が、何の問題も無く、平穏な状態ならば、それで良いのですが、はたしてそうでしょうか?現状は上から目線の既存の教えられてきた評価シートを用い評価しましょうでは無くて、何故現状があるのかを考えなくてはならないでしょう。(にしむら)

 明日は、医療センター(旧八雲病院)のシーティングの日です。

 

 八雲町に病院があった時は、夏場3時間移動シーティング9時から17時まで、それから3時間かけて札幌に戻ると言ったとてもハードな作業でした。

 冬場は3時間ではなくて4時間を見なければならない移動でしたし、路面は日によって不気味に氷によるテカリのとても危険な移動でした。

 流石に、冬場は八雲シーティングの終盤には八雲町で一泊をお願いしておりましたので、少し楽になりましたが、それなりに自分にとって頑張らなければとの想いの一大イベントでした。

 

 だんだん年をとってくると、今年の5月で72歳になりました。(笑)

 シーティング当日は、周辺の日の作業量を減らしコンデションを整えているので、以前と変わりなく作業している様に見える様に元気な振りをしていますが、以前は通常の仕事をこなしつつ、こんな大変なことをしていたかと思うと・・・考え深いものがあります。

 

 医療センターで実施しているシーティングは、いわゆる従来のシーティング対応では満足行く効果を得られないことから、八雲時代に当時の院長さんをはじめとして、私が提唱してきたABSに関心をもたれました。

 直接対応するコメディカルスタッフによる従来手法とABSの比較検証を受けて、(何やら上から目線の評価するって感じかな?)そんなことを経て現在はほとんどすべてをABSの考え方と対応手法で実施されています。

 ただ最近になってSMAは違うという様なことを言い始めているんですが、臨床家が、それを実施して理論化するには彼らの職業人生をかけた30年程かかることを理解しているのかな?元祖臨床家の私が言うことです。それが、どれほど大変なことであって、覚悟をもって当たらなければならないこと、そして、それらは社会的評価を受けにくいことであることに・・・・・気づいているのかなぁ~?勿論覚悟をもってすることならば、出来る限りではあるけど、助力はするけれどね

 

 とは、言いつつも地味ではあるもののABSも深化をしてきているのですが、見慣れた理論と手法と油断していては、その変化を感じられなくなることもあるものです。

 また、コメディカルの中には、ABSを我こそがが主体となり方法論としてのABSを評価して、その実践をして来て、何を勘違いしているのか理論提唱者だとの考えも芽生えてきてしまうこともある様です。

 

 ABSの元祖提唱者としては、この現状はどうなんだろうと?思うことも多いのですが、彼らの若さと言うか?彼らの妄想の世界で元気と言うか??

 そんな現状の中で、月一の作業を進めている様な状態です。

 

 作業を見ていると、今後の医療センターのシーティングで必要な物、しかし、現実の製品として実現できていないものの姿を想像し、私的に設計段階まで来ているものもありますが、現場を牛耳るコメディカルが「西村さん何とかなりませんか?」と、相談してくれないと、西村が暴走していると言われるだけですので、今のところ静観しているしかありません。なんとも、寂しいものです。

 

 私は八雲の時は、少なくとも強い動機をもっていたし、ファイトしていたのですが、今は自宅で、愛知の名城大向けのABSの重度そして、強い姿勢変形をもつ人への理論、具体的方法論のマニュアル作成を重点的にしています。

 このマニュアルは、コメディカル向けでは無くて、どちらかと言うと業者さん向けでまとめています。何故かと言うと、コメディカルが何と言おうと、シーティングで起こることは良き事でも悪き事でも、人と環境要素としての車いすや姿勢保持いすの間で物理現象として起きることなのですからね・・・・魔法があればよいのですが・・

 いすに出来ることはとても限られているけど、いすに出来ることに真摯に向き合い最善をつくすことが大切です。(にしむら)