〇自分が環境から孤立した存在たと考えてしまうと、環境をコントロールしたくなるものだ。こうした発想は個人、集団の両方のレベルで自然を破壊する行為につながっていく。自分たちの一部を抹殺していることにも気づかずに、このままやりたい放題に自然を蹂躙し続ければ、やがて地球は人の住めない星になってしまう。
 私たちは、人間が環境の一部だという認識を、一人一人のうちに育てていく必要がある。そうすれば、環境を自分たちに服従させようとする行為に対して、終止符が打たれる可能性も出てくるだろう。
 自らを環境生物だと考えるようになると、すべてのものを尊ぶ気持ちが生まれてくるはずだ。そして外にあるものを尊ぶ気持ちを持てるようになれば、私たちは環境をコントロールするのではなく、環境と調和しながら生きていけるようになるだろう。自分が環境だけでなく、環境の中にあるすべての物、すべてね人とエネルギーを共有していることに気付けば、もはやこの世に孤立したものであるなどとは考えられなくなるに違いない。
 もちろん、波の山と谷間との区別がつくように、個々のものを区別する事は可能だ。しかし、これらは決して別々のものではない。物体は一つ一つが違っていて、同時に隔たりのない存在なのである。物には隔たりがあるという意識を捨てよう。そうすれば、あなたはこれらの共有エネルギーを利用できる。そしてあなたの中に、自分が孤立した存在ではなく、世界と有機的につながっている存在であるという認識が生まれるはずだ。

 

〇カルマがクリアになったときというのは内側から言い知れぬ喜びや感謝が湧き上がってくるものである。

〇許しを認識し実践すれば「輪廻の何千年分」もの魂の進歩が達成できる。

〇真の許しの本当の利益は許す当人に返ってくる。

〇他者を許すことで自分自身を許す完璧なチャンスが与えられている。すべては許しのレッスンであり、許しのレッスンは死を含めてすべて等価である。

 

〇「奇跡は理屈ではなく、信じる心から生まれる」この法則は、目や耳でとらえた物以外の世界を信じる助けになるだろう。そしてあなたは、人生には目に見えるものよりもはるかに多くのものがあることを知り、その真実を確信することで、疑いや不安を追い払い、心を穏やかに保てるようになるに違いない。
 一度この真実を知った人は、いかなる相手の反駁にあっても揺らぐことはない。ひとたびこの信念に基づいた生き方ができるようになれば、もう誰が何と言おうと気にならなくなるだろう。あなたは自分の能力を他人に証明する必要もなければ、自分の考え方が正しいことを人に納得させる必要もないのだ。
 やがてあなたは、この広大な大地さえもがあなたの一部なのだというとを、今までにない現実感を持って感じられるようになるだろう。

 

 


 

〇「環境」と「自分」とは別々の物だと感じていると、求めるものを環境から自分に引き寄せることなどできない。たとえ何かが目の前に現れたとしても、「偶然」「運がよかったせいだ」と考えてしまうのである。
 こうした見方を変えることができれば、私たちは自分の手で人生を創造する能力を開花させられる。そして、それが自分たちの中にある「無限の力」のなせる業だと確信するだろう。
 私たちは、私たちを取り巻く「環境」と切り離して考えることができない存在である。そこのことを明快にするために、ここで一つ新しい言葉を提案してみたい。「環境生物」という言葉である。あなたは自分のことをこの環境生物だと考えるようにしていただきたい。この言葉は、自分と環境の間には、全く境がないことを示すものである。
 あなたを取り巻く環境はあなたそのものである。つまり、「自分の環境は、自分を映す鏡」なのである。そして、これこそ、人生を切り開いていく三つ目の法則に他ならない。
 外的な世界、つまりあなたの環境が、あなたの体の延長だと想像してみてほしい。こう考えると、あなたは目に見える外界と区別のつかない存在ということになる。このような視点に立てば、自分と外界を切り離して考えることはできなくなる。それどころか、あなたは視覚的にも聴覚的にも、環境と一体の存在ということになるのだ。
 例えば、自分が歩いているところを創造してみていただきたい。この時、あなたは何かの上を歩いているはずだ。床なり地面なりがなければ、あなたの足は宙をバタつくだけである。これではもちろん歩いているとは言えない。あなたが歩くとき、その下には必ず砂利や砂、カーペット、コンクリートなどがあり、それらを構成する元素が存在しているのだ。空に歩いている間は呼吸もしている。また、重力が働いていなければ、あなたは宙に浮かんでしまうだろう。
 あなたが環境生物であることを示すものは、これだけではない。活字が印刷されている本は、活字と紙があって初めて存在するのだ。活字を個体、神を環境だと考えれば、環境と個体が切っても切れない関係にあるのかがわかるだろう。この例に倣って言えば、あなたはちょうど活字のように、自分を取り巻く世界に刻印されているのだある。
 天に輝く星は、背景の空が暗くなければ見ることはできない。また、自分や他人の身体も、周りが明るくなければ目には見えない。あなたという「存在」についても事情は同じである。あなたは、環境と切り離して考えることのできない存在なのだ。そして、環境とは無理に変えるべきものではないし、自分も環境によって無理に変えられるべきではない。環境あなたの延長であり、あなたは環境の延長であり、主人なのだ。初めて耳にする発想かもしれない。しかし、これは前提となるべき重要な考え方である。あなたは一個の個性でありながら、同時に環境と不可分の存在なのである。

 

 

 

〇他人から好感を持たれていると良いチャンスに恵まれます。不快感を持たれているとマイナスのチャンスに巡り合うでしょう、これは良いチャンスに巡り合えないよりも悪い状況です。

〇一切の禍の中に幸福への芽が潜んでいる。

〇幸、不幸はプラスマイナスゼロである、というのは正しいがそれは個人(今生)においてではない。

〇相手を非難すればするほど自分の意識向上は止まり逆に下降を始めます。

 

〇人間性は弱者に対する態度に出る。


〇見返り根性を捨てると幸運の歯車が回る。


〇我慢のならない人こそあなたの教師。


〇あなたの環境は自分を映す鏡。


〇弱い人を助けて権力の誘惑には溺れるな。
 

〇この道に入った初めの間はかえって損したりバカ見たりするぞ、それはメグリ取っていただいているのぞ、それが済めば苦しくてもどこから光見出すぞ。おかげの初め、次に自信ついてくるぞ、胴が座ってくるぞ、心が勇んできたらおかげ大きく光りだしたのぢゃ。

〇人を許すだけで「神様預金」は貯まる。

〇強いもの正しいものこそ、頭を下げることが神様預金を貯める方法。

〇信頼できる人からの誘いはイコール潜在意識からの誘い。

 

〇「私は十分にものを持ったことがない」という見方から、「私はずっと守られるだろう。だから、もうそんなことに人生のエネルギーを費やすことはないんだ」という考え方に変えてしまうこと。こうした悟りは、時世のどんなときにも起こりえる。ただし、あなたが心を開いて進んで身を任せる気持ちになれば、である。 
 精神的な導師はみな、「人生の現実は無言であなたに語り掛けている」という。そうした語りかけの言葉を聞くには、ただ信じて、静かに自分の心の声に耳を傾けること。
 大いなる存在、無限のエネルギーにゆだねる姿勢で導きを待つこと。自分には目的ある人生を送る能力があると全面的に受け入れるのだ。大いなる存在、無限のエネルギーに身をゆだねる気持ちなしに、その瞬間はないのである。


〇ゆるぎない自信に到達すると、日常の考えと感情、行動が調和に満ちたものになってくる。思考と感情が一致しなかったり、行動が思考と食い違ったりしていると、自分を信じる気持ちからどんどん遠ざかっていくことになる。
 自分が常日頃考えていることを、注意深く顧みてほしい。それらは、自分の振る舞いと完全に一致しているだろうか。「健康は大切だ」と口で言っておきながら不摂生な食生活を送っている人は、自分に対する信頼をどんどん失いつつあるのだ。
 逆に思考と感情と行動の三つが一致している人は、強固な自信を身に着けている。そして、忘れないでいただきたい。自分を信じているということは、同時に神を信じているということなのだ。考えていることに行動が伴わない人は、自分の本質である神性を信じる気持ちがないことに他ならない。
 そういう人はまず、思いと行動が一致していない現状を素直に認めること。そして、具体的に何が食い違っているのかを認識したうえで、自分にはそれを乗り越える力があると信じるのである。そして日ごろ難しいと思っていることに挑戦してみよう。例えばゴルフのスイングでもいいし、宴会で酒を飲まないようにすることでもいい。理想通りにいっている自分をイメージするのだ。これを6・7回繰り返すのである。そう言う訓練を続ければ、思いと行動を一致させるのに必要なエネルギーが引き寄せられるのだ。


 今度は人生を時間軸を考えてパスタの面で例えてみる、パスタの面を一本横にすると右側が過去で左側が未来。これを90度回転して円として見る、すると過去も未来も同時に起こる神様視点である。

 この宇宙はあくまで中立なので出した分だけ入ってきてしまう、またまた殺伐とした例えで申し訳ないが丸い円の視点では誰かを刺せば同時に刺される、イメージとして円の左側に包丁の形が出っ張れば円の右側が包丁の形にへこむのである。このままパスタを横にして時間を加えて視てみると右側1センチの部分で誰かを刺した、そして2センチの部分で刺されたとすればその2センチの部分が今生で来るか来世で来るかそれとも再来世か、ということになる。・・・つづく

 

〇理想の自分と本当の自分とのギャップが現実の問題を引き起こしている。


〇覚醒しようとするのではなく世界と一体化しようとするのである。そうすればベクトルが正しい方向に向く。


〇我々の御霊は例外なく曇っているのであるから磨かれればいろいろな汚れが出てくるのは当然である、掃除すればほこりが出るのである。悪的変化として現れるのは実はメグリの噴出に他ならない。メグリが外に出ているのであるからこれはありがたい仕組みなのである。悪的変化こそ大きな「おかげ」なのだ。


〇これと信じたら任せきれよ、損もよいぞ、病気もよいぞ、ケガもよいぞ、それによってメグリ取っていただくのぞ。メグリなくなれば日本晴れぞ、今がその借銭済ましぞ。

 


 

〇自分を信じられるようになれば、人生の苦難がすべて消えるわけではない。物理的な世界に住んでいる限り、あなたの人生は「山あり谷あり」だろう。しかし、不幸を知らない人に、幸せの喜びはわからない。物理的な世界、つまり現実の世界には必ず明暗があるのだ。こんなはずではないとエゴが行ったからと言って、信念を失ってはならない。暗闇の中にいるときこそ自分を信じて、その先に光明があることを確信するべきなのだ。暗闇を呪うのではなく、そこに教訓を探すようにする。
 そうすれば自分の置かれた境遇に埋没することなく、苦しみや喜びを客観視できるようになる。そして、「すべてが完璧でなければならない」とか、「物事がうまくいかないなら神を信じる必要はない」といったエゴの言葉に振り回されることもなくなるはずだ。
 人生に谷にいると感じるとき、それは、物理的世界に経験にすぎない。あなたの魂が谷間にあるわけではないことを覚えておいてほしい。あなたは、この物理的世界を作った「見えざる知性」の一部であることを、いつも忘れずにいてほしい。


 

 

 

 

〇自分を信じるという行為には、永遠不滅の英知が込められている。何かの問題に直面した時、その原因は自分の内面にあることに多くの人が気付くだろう、だが、自分を信じている者は、人生の問題を解決する鍵もまた、自らの内にあることを知っているのだ。そして、自分以外の他人や外的なものに、問題を解決する方法を求めることはない。ひたすら自分を信じ、確固たる信念をもって、問題の解決に必要なエネルギーを自分に引き寄せるのだ。