〇債権者であるコマのエネルギーは、通常、ネガティブな質を帯びている。けれども、人はそのエネルギーに善良な意思を与えることで、エネルギーの極性を変えてしまう。だから、乾杯と決してして空疎な儀式ではなく、意図の宣言なのである。
しかしながら、せっかく乾杯が好ましい作用を持っているのにもかかわらず、どの乾杯も同じ間違いを含んでいる。それは、通常、未来に向けて願っている点である。すると、コマから提供されたエネルギーはただポジティブなものに変換されるだけとなり、リアリティには影響を及ぼさない。願っていることは依然としてどこか手の届かない遠くにとどまり続ける。そして、このことはすべて法則にかなっているのである。なぜなら、鏡は未来を映し出すことはできず、常に現在を反映するものだからである。
このことから何が導き出されるだろうか。それは、乾杯を現在形で行うべきだと言うことである。そうなると大変奇妙な完敗になるだろうが、効果があるのである。例えば、、「さあ、飲もう」ではなく「それ、飲んでいる」となる。あるいは「我々はすこぶる健康だ」「我々は勝利したところである」「ここにいない人々は常にわわれとともにある」「海で働いている人々は幸運だ」「我々の願いはかないつつある」「成功は常に我々について回る」等々となる。
アルコール飲料を用いれば、願いを簡単に現実化できると思ってはならない。ご存じのように、これには裏がある。借り入れが多ければ多いほど、利子も高くなるのである。「ローン負債」が増えるとともに、人間の意識、すなわち人間の意図は、亜空間にある現実とは合致していない領域に移っていくことは言うにおよばない。代わりに覚せい剤を用いて同じことを行うなどはもってのほかである。コマのネガティブなエネルギーをポジティブなエネルギーに変換することは、いつでもだれにでもできるというわけではないのである。
黒魔術の作用は同じ原理に基づいている。意地悪な魔法使いが闇の力に呼びか、そのエネルギーで敵意に満ちた自分の意図を強めようとするのである。
一般的に言うと、コマから借金する事はあらゆる点で得なことではない。しかし、もしそれでもあなたがコマから借金をするのであれば、決まりを守らなければならない。「コマの罠にかかっている」ときには、良いことだけを考えよ、という事である。
事象選択の駒を例にとってみよう。もちろん、事象選択の駒はあなたに害をもたらさないから、意図を宣言してみると、その効率性が上がるのをはっきりと実感できる。事象選択に関する情報に接するたびに、それが目的を達成しようとするあなたの助けになることを思い出そう。このような意図の固定は事象の流れのベクトルを必要な方向へきちんと向けてくる。
あなたの人生とは縁もゆかりもないような他のどんなコマの場合でも、同じやり方で振る舞うべきである。例えば、テレビシリーズやショー番組を見るときに、あなたはいずれにせよコマとエネルギーを交換している事になる。効果を観察しながら、目的とするスライド、つまり受け取りたいと思う画像を用意しておこう。情報の流れの中で、あなたの目的に少しでも関係しているような引っ掛かりを常に探してよいのである。例えば、テレビシリーズの主人公がゴージャスな車を乗り回していたら、そこですぐに自分も似たような車を買う予定だという事実を確認しておこう。
エネルギーの借り入れを受けるときには、絶体に悪いことを考えてはならない。思い煩い、重苦しい悩み、憂鬱、恐怖などはすべて追加補給されるエネルギーによって強められてしまうだろう。次に具体例を挙げよう。
休息をとるときには、間もなく訪れる成功について、それがまるでもう手の中にあるかのように考えよう。あるいは、CMがコーヒーの馥郁たる香りを楽しむようアピールしているとしよう。そのときには、自分の成功を楽しんでみよう。それは何が起ころうとも、常にあなたとともにある。なぜなら、あなたは意図の調整の法則を忘れてはいないからである。例えば、あなたがタバコを吸ったり、コーヒーを飲んだりするときに名は、思考を無駄に成り行き任せにしておくのではなく、意図を宣言してみよう。「あらゆる理ことは素晴らしくうまくいく。なぜなら、私は自分の意図によって自分のリアリティを形作っているのだから。それに、私はそれをどうやるかに知っているのだ」
まさにこの減に基づいて、茶会も執り行われる。食事の前の祈りや供物も、多くの民族の伝統に見られる。しかしながら、神を正当に評価する一方で、自分についてのことも忘れてはならない。
もしあなたが「さあ、たくさんお食べ、いい子だから、大きくなるんだよ」と言いながら、愛情と思いやりをもって「自分を養う」ようになると、全く予想外で信じられないほどの効果が得られるかもしれない。病気のいくつかは消えてなくなる事も大いにあり得る。最初、肉体は驚くだろうが、その後、大喜びし、優しく大切に世話された花のように開花することだろう。大事なのは、心からの愛情、配慮、そして、「おお、よしよし、たくさんお食べ」というような言葉をかけながら自分を世話することなのである。
そうした意図の宣言は、大きな力を持っている。もしこれまでのあなたが自分に対して冷淡に、あるいは憎悪を抱いて接していたのなら、自分を気遣うという儀式は驚くべき変化を引き起こすことだろう。信じがたいなら、試してみたらよい。
これまでに述べてきたことを念頭に置けば、意図の宣言を、相場、カジノ、競馬などの狡猾なコマとのゲームで利用できそうに思われるかもしれない。原則的には、利用しない手はないだろう。もしお金をかける瞬間やゲームの過程で、絶対に当たりが出るスライドを頭のかなに映し出しておくと、勝利の確率は上がることだろう。実践してみるのは簡単ではないが可能である。通常、プレイヤーの考えとはおおよそ次のようなものだ。「ああ、勝ちたいなあ」「でも、もし負けたらどうしよう」「いや、俺様は絶対に勝つはずだ」「今度はつくぞ」
これではどれもダメである。ここにあるのは、願望、どうやって勝つかという思惑、負けることへの恐れ、勝つことへの期待である。勝つ事への期待を含め、あらゆる思惑や感情を投げ捨てなくてはならない。疑う余地がなく、情熱とは無縁の、勝利を所有する決意だけが残っていなければならない。「私は勝利者だ」という糸の宣言で無ければならない。そこには、理由、条件、感嘆符などは一切ない。もしあなたが「所有する決意」と表現ざれる正体を無条件で平然と達成できたら、勝つチャンスは急上昇することだろう。
