〇魂の意図は、不可解で強力な力である。同時に、どれほど移ろいやすく捉え難いかという事も納得するだろう。それは、コントロールする全てもあり、同時にコントロールへの拒絶でもあり、行動する意志であり、強圧への拒絶であり、所有する決意であり、達成しようとする意欲への拒絶である。理性にとっては、何か聞きな入れずこれまで経験した事のないものである。人は意思の意図によって達成することには慣れている。世界に直接影響を与えれば、世界はすぐに反応してくる。すべては単純で理解できる。しかし、世界はやすやすと屈してはくれない。努力し、自分の主張を貫き、戦い、大変な苦労をして勝ち抜くことが要求される。ところが、魂の意図による目的達成は、積極的に立ち向かうことを放棄するようにという提案である。世界の方から両手を広げてやってくるのだという。常軌を逸したこんなやり方では、理性が途方に暮れるのももっともな話である。
 どうすれば、所有する決意と直接作用することの放棄とをバランスを取って両立させられるのだろう。答えはおのずと浮かんでくる。意図のバランスを保たなくてはならない、という事である。答えはおのずと浮かんでくる。意図のバランスを保たなくてはならない。という事である。これはつまり、望まずに欲しがる。不安にならずに心配する、夢中にならずに目指す、固執せずに行動するという事である。バランスが破られるのは、重要性が生み出す過剰ポテンシャルによってである。目的が大事であればあるほど達成はますます困難になるという事を、あなたはすでに知っている。
 「もしとても欲しいなば、必ずや達成される」という表現があるが、パニック状態になるほど欲しかったり、望むものを病的なまでに得たいケースでは、全く正反対に作用するだろう。望みが実現吊れるというしっかりとした確信がないために、パニックを起こすのである。次の二つのスタンスを比較していただきたい。一つ目のスタンス「私は望んであるものをとても達成したいと思っている。それは、私にとって、生死にかかわる問題である。私はどんなことがあろうとそれを手に入れなければならない。私はあらゆる努力を惜しますない」二つ目のスタンス「まぁいい、私は望むものを受け取ろうと決めたのである。だって私はそれが欲しいのだから、それで、どこかに問題でもあるのか。その望むものを私の手にはい。それだけの話である」どちらの状態が勝利するかを判断するのは、難しくない。
 願望は、実現されない確率を除外していない点で、意図と異なる。もし私たちが何かを望んで、それを得ることが難しいとなると、もっと欲しくなる。願望はいつも過剰ポテンシャルを生み出す。願望自体がすでに過剰ポテンシャルなのだと定義づけられる。どこか何かが欠けているが、その何かを底へ引き込もうとする思考エネルギーが存在する場合、それが願望だ。これに対して意図は、信じることも望むむこともせず、ただ作用するのである。
 純粋な意図は決して過剰ポテンシャルを生み出さない。意図とは、すでにすべてが決定されたという事を前提としている。つまり、「私はそうなることをただ単に決めてしまった。それはほぼ成し遂げられた事実なのである」
と言いうように。それは、そうなるだろうという事の、穏やかな認識である。例えば、私が売店へ新聞を買いに行くつもりであるとしよう。ここでは願望というのは何もない。願望は、私がそうしようと決めた瞬間まで存在していただけである。この願望が履行されない各釣りは極めて小さいし、履行されない場合でも、何の災厄も起こらない。つまりこの時の意図は、願望、即ち過剰ポテンシャルが完全に取り除かれたものになっている。
 願望の思考エネルギーは目的に向けられ、意図のエネルギーは目的達成のプロセスに向けられる。人が何かを欲しいとき、その人は取り囲む世界のエネルギー分布図上に擾乱をもたらし、これが平衡力の作用を招く。しかし、その人が新聞を買いに売店へ歩いていくときには、行かない異質性もそこにはない。
 願望は、人生ラインの状況に対して、次のように作用する。「私はこれを受け取りたいと思っているが、受け取れないかもしれない。だから、しくじったときのことを考えてしまい、失敗する人生ラインの周波数で思考エネルギーを放射している」ところが、意図は全く正反対に作用する。「私は自分が求めているものを受け取ることを知っている。この問題は私にとってすでに解決済みである。だから私は、欲しいものを受け取る人生ラインの周波数でエネルギーを放射している」
 このように目的の達成を邪魔する者は、願望と信念という二つの過剰ポテンシャルである。正確にいうと、「何があっても目的を達成するという熱狂的な願望」と「目的を達成する可能性への疑念との戦い」のことである。目的を望めば望むほど、成功する結果への疑念は益々膨らむ。そして、このような疑念は、望んでいるものの価値をさらに増大させる。願望は役に立たないどころか、邪魔をするだけなのである。願望を実現させるための秘訣は、願望と縁を切り、その代わりに、意図、すなわち、所有し行動する決意を持つことである。 
 しかし、目的の重要性は、意思の意図によって世界に影響を与えつつ、自分の目的を大騒ぎしてでも勝ち取ろうという意欲を生み出す。理性は、その意図を受け取り、向う見ずに戦い始める。まさしく重要性こそが、今までの習慣でこのように世界に圧力をかけるよう、理性を強要するのである。たとえ一歩でも良いから、魂の意図に近づくためには、重要性を引き下げる必要がある。意思の意図は取り巻く世界に影響を与えようとするが、魂の意図はこの点で意思の意図との共通点は何も持っていない。