〇あなたがある島に上陸し、そこで未開人たちと出会ったとする。今やあなたの命は、そこでいかに振る舞うかに掛かっている。第一の事象は、あなたが生贄になるという事である。許しを請い、贈り物をし、言い訳を並べ、そうした事をくたくたになるまで続ける。しかし結局この場合のあなたは、食べられる運命にある。第二の事象は、あなたの方が征服者になろうとするものである。あなたは攻撃性を発揮し、襲い掛かり、服従させようとする。あなたの運命は、勝利するか戦死するかのどちらかである。第三の事象は、あなたが主、つまり支配者になるというものである。あなたが権力を持つ者がするように人差し指を立てると、未開人たちはあなたに屈服することだろう。自分自身の力に疑いを持っていないならば、他者もそのように思い、ほかの見方をすることが不可能になる。この時あなたの思考エネルギーの放射は、あなたが支配者となる人生ラインに調整されている。
第一と第二の事象は意思の意図の働きと関係し、第三の事象は魂の意図の働きを示している。魂の意図はただ単に必要な事象を選択するだけである。
開け放たれた小窓の隣の窓ガラスにぶつかるハエは、意思の意図を持っている。このハエにとっての魂の意図とはどのようなものになると思われるだろうか。開いている小窓から飛び立っていくという答えを思いつくだろう。しかし、そうでは無い。もしハエが舞い戻ったら、よく全体を見回して、閉ざされた窓と開け放たれた小窓とを目にする事だろう。ハエにとってこれは単に現実世界の見方が広がっただけのことである。純粋な形での魂の意図は、ハエの目に前にある窓をいっぱいに開けるのである。
意思の意図は、同じ人生ライン上において、取り巻く世界に作用を及ぼそうとするあらゆる試みに関係する。亜空間において選択されたそれぞれのセクター内で可能なことは全て、自然科学の著名な法則によって表され、物質的世界観の枠内に収まる。一方、魂の意図は、望んでいることが現実化される人生ラインを選ぼうとすることと関係している。
これであなたはわかったであろう。閉じた窓を貫いて飛び出そうとすることは、意思の意図である。魂の意図はその窓が開いている人生ラインへ乗り換えることである。思考の力によって鉛筆を動かそうとする人間業ではない努力をすることは可能である。また、魂の意図だけによって、亜空間をスキャニングし、鉛筆が様々な位置にいる事象を探し出すことも可能なのである。
クリスマス・イブの日、スーパーマーケットのわきの駐車場が満車状態だとしよう。意思の意図は、だれもが買い物で忙しいので駐車スペースを見つけられるわけはないと確信する。魂の意図は、すべてを承知のうえで、あなたがスーパーマーケットのわきの駐車場が満車状態だとしよう。スーパーマーケットに行くと丁度その時一台分の駐車スペースが開くことを容認する。魂の意図は、そうした可能性を断固として信じることではなく、冷静に無条件で自分のものを受け取ることである。
魂の意図は、即興の中で生まれたものであり、閃きにも似ている。魂の意図への準備をしても無駄である。魔法につきものの儀式はすべて魂の意図だけを呼び起こすために向けられている。しかし、儀式は魔法の前の単なる準備であり、劇場でで奏でられる前奏曲や舞台装置にすぎない。夢の中であなたは絶壁がら飛び降りることをイメージするとしよう。しかし、地面に激突しないように、あなたは宙に浮かぶという意図を呼び起こさなければならない。心の準備をしたり、呪文を唱えたりする時間はない。飛ぼうと意図するだけで、あなたはそうなっている。呪文や魔法のために付属品は、だれでも持っているのに利用することが出来ないあの力を引き起こす手助けをするだけなのである。
