〇戦争は本質的に、取っ組み合いのけんかとほとんど同じようにして起こる。最初は、A国はB国に自分たちの意見をいう。しかし、B国の意見はそれと正反対のため、A国による意見表明は、破壊的コマからの接触のように作用する。B国はこの最初の接触に対して、少し強めに小突いて答える。これに対し、A国は、もっと強いお返しをする。こうして、殴り合いになるまで、どんどんエスカレートしていく。
 二つのコマがますます強く回転して互いに相手を殴り合うという、単純でわかりやすい光景が目の前に展開されているとする。戦争や革命の機運が高まるときには、多くの要因が作用するものであるが、本質は同じである。まず、暮らし向きの悪いことが民衆に告げられる。これには全員がすぐに賛成する。コマからの最初のパスが受け止められたのである。その後、我が国の民衆がよりよく暮らす事を邪魔しているのは、他国の民衆であるという説明がとってつけられる。これは不満を呼び起こし、コマは早く回る。これに続いて様々な面らか扇動が行われ、憤慨の嵐が置き、コマは力を蓄え、戦争や革命への準備が整う。コマによる一撃一撃が反響を呼び、回転に巻き込んでいく。そして、緊張が激化する人生ラインへと雪崩のように移転が起こる。
 状況を変えることが可能なのは最初のうちだけであって、その後は手に負えなくなってしまう。スパイラルが巻き込み始めた瞬間、コマからの最初の接触に対して、ただわきへ避けるか、または平和的に対応するだけで、コマから身をかわすか、またはコマを手なずけるという事が可能である。それをやれば、新たな段階、すなわち新たなラインへの移転も起こらない。しかし、もしコマの回転を受け入れてしまうと、参加者の放射周波数はスパイラルの新段階へと導くパラメーターに近づいていく。
 もし物事に関与した個人個人がコマに反応しないとしても、残念ながら、それで戦争や革命に巻き込まれない補償にはならない。もし強力な渦巻に巻き込まれたら、どう抵抗しても、そこから抜け出すことはほぼ不可能である。だが、コマのゲームを受け入れない場合、巻き込まれてしまったものには、少なくとも生き残り、最小限の損失で脱出する余地は残されるだろう。戦争や革命を受け入れないとはどういうことか、ここでよく考えてみなくてはならない。戦争や革命を憎み、猛然と戦う事はできるだろうが、コマにとって、あなたが賛成なのか反対なのかは、どちらでもよいことである。プラス、マイナス、どちらの符号であろうとも、そうしたエネルギーはコマへと供給される。もしエネルギーが戦争の周波数で放射されているならば、そのラインへの移転が凝るだろう。あなたは戦争を受け入れて参加する。つまり戦場に赴くのである。戦争に反対して戦っても、いずれにせよ戦争はあなたを飲み込んでしまう。
 コマを受け入れれれないという事は、コマを無視することを意味する。もちろん無視することがいつもうまく行くとは限らない。そこに誘導ラインの危険性が潜んでいる。少なくすることがいつもうまくいくとは限らない。そこに誘導移転の危険性が潜んでいる少なくとも、戦争の賛成者や反対者の立場を受け入れてはならない。どの時代にも中立国が存在した。中立国はわきへ引っ込んで関与せず、民族同士が互いに殲滅しあうのを傍観していた。デモや集会に目を向けると、そこでは軍事行動に反対し、怒り声をあげて抗議している人々がいる。コマは自分の反対者との戦いを全面的に繰り広げようとしているから、このような人々、戦いの同盟者と同じく、待ち望んていた献身的な信望者なのである。このように未熟な信奉者たちは、戦争反対のための自分たちの行動の正しさを信じて疑わないだろうが、活発な抗議活動というのは戦争幇助そのものである。平和主義に基づく提案やコマの素顔と同期を暴くことこそが、戦争の火種を消す行動となりえる。野生のミツバチの巣にまつわる話を思い出していただきたい。コマは自分の信奉者たちに、ミツバチは危険なので根絶やしにすべし、と宣言した。しかし、コマにとって本当は何が必要だったのだろう。