〇怒りや嫉妬、恐れといった、自我のエネルギーによる創造を選択した時、あなたはパワーを喪失する。自我は、パワーを外側の物として理解している。それは、競争、脅威、損得の大きさなどの観点から、物事を見る。あなたは、自我と同調しているとき、五感の領域、すなわち、外側の状況や物事にパワーを明け渡している。その時あなたは、自分自身からパワーを奪っている。あなたは、自分の霊的な自己の存在と、その起源及び不滅性を認識し、それを第一に考え、肉体的な自己は第二に考えて選択しながら生きられるようになったとき、自我と魂の間に存在し続けてきたギャップを埋めることになる。その時、真のパワーを体験し始める。
〇魂から疎遠になった自我は、満足する事ができない。たとえ満足を感じる事があったとしても、それはほんの一瞬の体験であり、次の瞬間には怒り、恐れ、あるいは羨望などにとってかわられてしまう。自己の相反する側面同士が、常に戦いを繰り広げているためにである。ただし、その葛藤自体は、あなたのカルマを創造することもしなければ、進化の道を決定することもない。それらを行うのは、その葛藤に対するあなたの反応である。あなたは、自分の相反する側面軍と意識的にかかわることで、望み通りのカルマを創造する反応を意識的に選ぶことができるようになる。その時、選択の背景に関する認識と、それぞれの選択肢の予想される結果の数々を、決断のプロセスに持ち込める。あなたにとって、自分の決断のプロセスのなかに意識的に介入することは、自分の進化のなかへと意識的に介入することに他ならない。これを行うには、もちろん努力がいる。しかしそれは、無意識のうちに怒りや怖れに満ちて行動することを選んで、その結果を体験しながら生きることよりも、大変なことなのだろうか? すでにあなたは、「自分が思いやりのない行動に及ぶたびに、それによって他人が体験させられるのと同じ苦難や苦痛を、自分でも体験することになる」ということを知っている。これは努力に値しない事なのだろうか? 自分が選択しようとしている行動の結果を想定し、その中に身を置き、その時に自分がどう感じるか、どれほど快適であるかをチェックすることは、もしもそうすることで、愛、思いやり、そして真のパワーの獲得につながるものであるとしたら、努力する価値が十分すぎるほどにあることではないのだろうか? あなたが決断のたびに行う、自分を自分の魂と同調させる努力は、何倍にも報われることになるのである。
