〇神があらゆるところに存在するということは、神があなたの内にあるというだけではなく、あなた自身が神の分身だともいえる。またこのことは、あなたが自分の中に見出せる神以外には、神が存在しないということを意味している。こうした事実を感得する、最も身近な方法は、祈りを利用することだ。「自分の中にも神が存在することを信じて祈る」という儀式を通じて、自分が望むことを実現できるようになるのだ。だが、そのためにはまず祈りに対する古い認識を改め、祈りという行為やその中身を、内なる視点から新たにとらえなおす必要がある。

                 
〇私たちは神のことを「天にある巨大な自動販売機」のように考え、祈りを対価にして願いを叶えてくれる存在だと思っている節がある。つまり、祈りというコインを入れてレバーをひねれば、神が何かを与えてくれるだろうと期待するのだ。だから、私たちは神という名の自販機を崇拝するのである。私たちは神をたたえ、自分たちがいかに崇敬しているかを示すことで、見返りを求めるのだ。
 こうした発想の前提になっているのは、神が私たちの外にあり、私たちが求めているものや必要としているものも、また外にあるという考えである。このような祈りは、むしろ神の存在感を薄めてしまう習慣だと言える。神を自販機扱いして祈りを捧げるのは、神が自分と別個の存在だという意識をますます強固にしてしまうのだ。
 むしろ、祈りの本質が神との交わりにあると考えたい。こうした見地に立つと、祈りを捧げることは、神が私たちの呼吸のように身近な存在だと認識するための行為となる。つまり、祈りは神との一体感を体験するためにあるのだ。それは、内的な力の存在を実感する行為に他ならないのだ。したがって、本当の祈りとは、神に何かを期待するのではなく、自分自身が変わることなのである。そして私たちは、祈りによって神から切り離されているという感覚を和らげることができる。
 幸福が外からやってくると考えるのは、自分が不完全であることを認めているのと同じだ。これは他力本願につながり、自分には見えざる神性が宿っていると信じる事を諦めてしまうことにもなる。この祈りとは、何かを乞うことではない。真の祈りとは、神の意志が自分を通じて現実化するのを求めることなのだ。祈りとは個人的な嘆願ではなく、崇高な使命や喜びのため、人類全体の幸福のために存在する。このようなレベルの祈りは、大いなるエネルギーとの一体感から生まれるものである。