レミゼラブル本公演初日開きました。初めてニューヨークのブロードウェイでこの作品を演奏したのは1999年。はやもうすぐ15年になろうとしています。あの時の24人編成は今は14人に、但し帝劇では弦の増員で18人です。少数化は時代の波ですが、工夫の日々です。
稽古中にUKチームのスタッフと話す事が幾度かありましたが、去年のサイゴンでも奥行きのあるいい音を作った音響のミック・ポッターが「ここのオケが今までの新演出でのベストな演奏だよ」と何度か言いました。常に微調整や観察を重ねてよりよい物を作らんと心を割く私のオケピの仕事仲間達。
レミゼの映画のオケ(約75人編成)の音楽監督、指揮者だったスティーヴン・ブルッカーが音楽スーパーバイザーとして滞在していたのですが、ブルッカーも、また演出家のパウエルも「ベストだ」と言いました。大抵この手の事には社交辞令が多分に含まれますが、ブルッカーは「このオケは本当に作品の深い理解と芝居との絡みのケアを考えて演奏しているオケだよ」と。ロンドンやNYでもそういう志を持ってるオケが多いかというとそうとも言えないよ、と。まぁ確かに。B'wayで8つ演奏しましたが色々あるものです笑
「毎日の演奏の中で全てが上手く行かないことも長い期間の中では度々ある、でも作品と、シアターを愛し、リスクを恐れずに情熱と愛を持って演奏する、それが最高なんだよ」というオケ練の時のブルッカーの言葉でした。それに深い共感を持ってます。正直個人のパートの「ノーミス」で得られるのは演奏終了後3分間の安い満足感です。
舞台は生き物です。色々な要素が密接に絡む。化学反応が起きなければ「当たった音」は無意味です。芝居の進行や役者のセリフ回しのスピードは毎日変わる。それに一発で反応しながらこちらも音で導くスリル満点の真剣勝負の世界、そしてその中には常にユーモアを(^^)
ブルッカーは「音楽こそが情景、キャラクター描写を主導し、表していく」と云う考えです。そのような情感、それぞれのキャラクターに沿ったアーティキュレーションやオーケストレーションですし。
役者に取っての最大の誉め言葉は「歌ってる事にさえ気づかなかったぐらい自然だった」という事も言ってました。「上手い歌が目立つときには、その聴衆の心は既に作品から離れている」と。オレもそう思います。勿論、人がどう感じるかは自由だけど。
いい思い出です。
稽古中にUKチームのスタッフと話す事が幾度かありましたが、去年のサイゴンでも奥行きのあるいい音を作った音響のミック・ポッターが「ここのオケが今までの新演出でのベストな演奏だよ」と何度か言いました。常に微調整や観察を重ねてよりよい物を作らんと心を割く私のオケピの仕事仲間達。
レミゼの映画のオケ(約75人編成)の音楽監督、指揮者だったスティーヴン・ブルッカーが音楽スーパーバイザーとして滞在していたのですが、ブルッカーも、また演出家のパウエルも「ベストだ」と言いました。大抵この手の事には社交辞令が多分に含まれますが、ブルッカーは「このオケは本当に作品の深い理解と芝居との絡みのケアを考えて演奏しているオケだよ」と。ロンドンやNYでもそういう志を持ってるオケが多いかというとそうとも言えないよ、と。まぁ確かに。B'wayで8つ演奏しましたが色々あるものです笑
「毎日の演奏の中で全てが上手く行かないことも長い期間の中では度々ある、でも作品と、シアターを愛し、リスクを恐れずに情熱と愛を持って演奏する、それが最高なんだよ」というオケ練の時のブルッカーの言葉でした。それに深い共感を持ってます。正直個人のパートの「ノーミス」で得られるのは演奏終了後3分間の安い満足感です。
舞台は生き物です。色々な要素が密接に絡む。化学反応が起きなければ「当たった音」は無意味です。芝居の進行や役者のセリフ回しのスピードは毎日変わる。それに一発で反応しながらこちらも音で導くスリル満点の真剣勝負の世界、そしてその中には常にユーモアを(^^)
ブルッカーは「音楽こそが情景、キャラクター描写を主導し、表していく」と云う考えです。そのような情感、それぞれのキャラクターに沿ったアーティキュレーションやオーケストレーションですし。
役者に取っての最大の誉め言葉は「歌ってる事にさえ気づかなかったぐらい自然だった」という事も言ってました。「上手い歌が目立つときには、その聴衆の心は既に作品から離れている」と。オレもそう思います。勿論、人がどう感じるかは自由だけど。
いい思い出です。